タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

ロースクールの中

予備試験の白状

 ロースクールを殺したのはわたしです。しかし法曹志願者は殺しはしません。では法曹志願者の9割はどこへ行ったのか? それはわたしにもわからないのです。まあ、お待ちなさい。いくら心の貧困を責めても、去ってしまった者は戻りますまい。その上わたしもこうなれば、卑怯な隠し立てはしないつもりです。

 わたしは昨日の午少し過ぎ、法曹養成の現場に出会いました。その時風の吹いた拍子に、図書室のカーテンが上ったものですから、ちらりと法曹志願者の顔が見えたのです。ちらりと、――見えたと思う瞬間には、もう見えなくなったのですが、一つにはそのためもあったのでしょう、わたしにはあの若者たちの顔が、2年間の懲役刑と罰金刑を課された囚人のように見えたのです。わたしはその咄嗟の間に、たといロースクール制度は殺しても、法曹志願者を解放しようと決心しました。

 何、ロースクールを殺すなぞは、あなた方の思っているように、大した事ではありません。どうせ法曹志願者が集まらなければ、必ず、経営難からロースクールは廃校していくのです。ただわたしは魔法の杖を一振りするかのように殺すのですが、あなた方は魔法の杖は使わない、ただ権力で殺す、法改正で殺す、どうかすると「2割司法」「ペーパー試験の弊害があった」などと根拠のない言葉だけで旧司法試験を殺したでしょう。なるほど血は流れない、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。(皮肉なる微笑)

 しかしロースクールを殺さずとも、法曹志願者を解放する事が出来れば、別に不足はない訳です。いや、その時の心もちでは、出来るだけロースクールを殺さずに、司法試験受験資格の授与権限だけを奪おうと決心したのです。が、あの山の急斜面を転がり落ちるような法曹志願者の激減では、とてもそんな事は出来ません。

 しかしロースクールを殺すにしても、卑怯な殺し方はしたくありません。わたしはロースクールの縄を解いた上、正々堂々と制度間競争をしろと云いました。ロースクールは血相を変えたまま、太い太刀を引き抜きました。と思うと口も利かずに、2011年から毎年毎年,憤然とわたしへ飛びかかりました。――その結果がどうなったかは、申し上げるまでもありますまい。わたしの司法試験合格率は現在まで,毎年断然トップ(ダントツ)であり、ただでさえ入学者の減少に悩むロースクールの経営に追い打ちをかけました。毎年毎年、――どうかそれを忘れずに下さい。わたしは今でもこの事だけは、感心だと思っているのです。わたしに毎年打ち負かされてなお性懲りもなく延命しようと弥縫策を用い続けたのは、天下にあの制度一人だけですから。(快活なる微笑)

 わたしはロースクールが倒れると同時に、血に染まった刀を下げたなり、法曹志願者の方を振り返りました。すると、――どうです、あの若者たちの9割はどこにもいないではありませんか? わたしは若者たちがどちらへ逃げたか、学校中を探して見ました。が、教室にも図書室にも、それらしい跡も残っていません。また耳を澄ませて見ても、聞えるのはただロースクールの喉に、断末魔の音がするだけです。

清水寺に来れる法曹志願者の懺悔

 ――その紺の水干を着た予備試験は、わたしを少ない経済的,時間的負担で籠絡してしまうと、合格者を増やさなければ学生が減り経営が成り立たず,かといって合格者を増やせば弁護士がインフレ化して弁護士資格の費用対効果が悪化してやはり学生が減るという,自縄自縛に陥ったロースクールを眺めながら、嘲るように笑いました。ロースクールはどんなに無念だったでしょう。が、いくら身悶えをして弥縫策を繰り出しても、法科大学院制度中にかかった自縄自縛は、一層ひしひしと食い入るだけです。わたしは思わずロースクールの正門へ、転ぶように走り寄り入学しました。いえ、入学しようとしたのです。しかし若くて優秀なわたしは,気がつくと予備試験の願書を提出していました。さらに保険としてロースクールにも出願し,最悪,お金で司法試験受験資格を買おうとしました。ちょうどその途端です。わたしはロースクールの眼の中に、何とも云いようのない輝きが、宿っているのを覚りました。何とも云いようのない、――わたしはあの眼を思い出すと、今でも身震いが出ずにはいられません。口さえ一言も利けないロースクールは、その刹那の眼の中に、一切の心を伝えたのです。しかしそこに閃いていたのは、怒りでもなければ悲しみでもない、――ただわたしを,手前勝手に「自分だけはできる」と勘違いした心の貧困な人間と蔑んだ、冷たい光だったではありませんか? わたしは、その眼の色に打たれたように、我知らず「サン・ゼン・ニン!」と叫んだぎり、とうとう気を失ってしまいました。

巫女の口を借りたる死霊の物語

 ――予備試験は法曹志願者を籠絡するため、そこへ腰を下したまま、いろいろ法曹志願者を説得し始めた。おれは勿論口は利けない。体も杉の根に縛られている。が、おれはその間に、何度も法曹志願者へ目くばせをした。予備試験の云う事を真に受けるな、何を云っても嘘と思え、予備試験は経済的に法科大学院へ進学できない人のための例外的なルートなのだ,決して若くて優秀な人のための抜け道ではない――おれはそんな意味を伝えたいと思った。しかし法曹志願者は悄然と図書室の自席に坐ったなり、じっと膝へ目をやっている。それがどうも予備試験の言葉に、聞き入っているように見えるではないか? おれは予備試験の経済的負担の少なさに嫉妬し身悶えをした。が、予備試験はそれからそれへと、巧妙に話を進めている。経済性・弁護士になるまでの所要期間・就職対策,俺には隙がないと思うよ,ロースクールには負けないよ、こうだ,高度な法曹養成は修習を2年に戻して行えばいい――予備試験はとうとう大胆にも、そう云う話さえ持ち出した。  予備試験にこう云われると、法曹志願者はうっとりと顔をもたげた。おれはまだあの時ほど、経済的合理性に裏打ちされた法曹志願者を見た事がない。しかしその法曹志願者は、現在縛られたおれを前に、何と予備試験に返事をしたか? おれは中有に迷っていても、法曹志願者の返事を思い出すごとに、嗔恚に燃えなかったためしはない。法曹志願者は確かにこう云った、――「では出願します。ロースクールは予備試験に合格し次第退学します。」(長き沈黙)  法曹志願者の罪はそれだけではない。それだけならばこの闇の中に、いまほどおれも苦しみはしまい。しかし法曹志願者は夢のように、予備試験に出願しようとすると、たちまち顔色を失ったなり、杉の根のおれを指さした。「ロースクールを殺して下さい。わたしはあのロースクールが生きていては、弁護士の経済的価値が下落し,弁護士になっても生活できずに成仏します。」――法曹志願者は気が狂ったように、何度もこう叫び立てた。「ロースクールを殺して下さい。」――この言葉は嵐のように、今でも遠い闇の底へ、まっ逆様におれを吹き落そうとする。一度でもこのくらい憎むべき言葉が、人間の口を出た事があろうか? 一度でもこのくらい呪わしい言葉が、人間の耳に触れた事があろうか? 一度でもこのくらい、――(突然|ほとばしるごとき嘲笑)その言葉を聞いた時は、予備試験さえ色を失ってしまった。「ロースクールを殺して下さい。」――法曹志願者はそう叫びながら、予備試験の腕に縋っている。予備試験はじっと法曹志願者を見たまま、殺すとも殺さぬとも返事をしない。――と思うと,予備試験は,「予備試験組の弁護士といえども,もはや弁護士のインフレ化による収入減は避けられない。経済的安定性を望むなら,会社員か公務員になった方がいいよ」と言った。法曹志願者は、自席の椅子に卒倒して倒れた、(再び迸るごとき嘲笑)予備試験は静かに両腕を組むと、おれの姿へ眼をやった。「司法試験受験資格授与権限はどうするつもりだ? 手放して法曹志願者ひいては日本の司法制度を守るか、それともあくまで原則として独占して崩壊しかけた法科大学院制度のあと数年の延命をはかるか? 返事はただ頷けば好い。手放すか?」――おれはこの言葉だけでも、予備試験の私心のなさから,その罪は赦してやりたい。(再び、長き沈黙)  法曹志願者はおれがためらう内に、「司法試験合格に莫大なコストとリスクをかけて年収300万円なんて!」と叫ぶが早いか、たちまち就職活動のため走り出した。おれはただ幻のように、そう云う景色を眺めていた。  「今年もおれが司法試験合格率のトップだ。」――おれは予備試験が藪の外へ、姿を隠してしまう時に、こう呟いたのを覚えている。その跡はどこも静かだった。いや、まだ誰かの泣く声がする。おれは縄を解きながら、じっと耳を澄ませて見た。が、その声も気がついて見れば、おれ自身の泣いている声だったではないか? (三度《みたび》、長き沈黙)  おれはやっと杉の根から、疲れ果てた体を起した。おれの前には法曹志願者が落した、ジェットストリーム0.5ミリが一つ光っている。おれはそれを手にとると、一突きにおれの胸へ刺して廃校した。何かなまぐさい塊がおれの口へこみ上げて来る。が、苦しみは少しもない。ただ胸が冷たくなると、一層あたりがしんとしてしまった。ああ、何と云う静かさだろう。この山陰の藪の空には、小鳥一羽|囀りに来ない。ただ杉や竹のうらに、寂しい日影が漂っている。日影が、――それも次第に薄れて来る。――もう杉や竹も見えない。おれはそこに倒れたまま、深い静かさに包まれている。  その時誰か忍び足に、おれの側へ来たものがある。学部だった。おれはそちらを見ようとした。が、おれのまわりには、いつか薄闇が立ちこめている。――学部は見えない手に、そっと胸のジェットストリーム0.5ミリを抜いて,法曹コースを設立すると,おれの延命治療を始めた。しかし,同時におれの口の中には、もう一度血潮があふれて来る。おれはそれぎり永久に、中有の闇へ沈んでしまった。……… (令和二年七月)

元ネタなど

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