話題になっていたので、見に逝ってまいりました。
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――本来目指した「理念」は正しかったと思いますか?
法曹に多様な人材を呼び込むという「理念」は正しくて、時代のニーズに合致していたと思います。国際的な法律業務が増えて、多様な能力を持った弁護士が必要になってくるという経済界の期待もありました。そういう意味でも真逆の方向へ進んでしまったと思います。
「多様な人材を呼び込む」というなら、ロースクールを廃止して、時間的費用的負担を低減して参入や撤退時のリスクを下げた方が、様々な分野から多様な人材が挑戦できると思います。
――「失敗の原因」は何でしょうか?
一言でいえば、「理念」と整合しない制度設計がされてしまったからだと思います。
とくに法曹人口です。当時の政治状況もあって、弁護士の数をケタ違いに増やすというと、日弁連が反対に回ってしまうので、国会の答弁でも言われていましたが「2018年頃に法曹人口5万人」という目標となりました。フランスの弁護士人口の割合を日本に当てはめると、大体それに近い数になるからという理由です。ちなみに、フランスを基準に正確に計算した場合、約7万人になります。
ところが、なぜフランスがモデルになるのかという説明はまったくありませんでした。日本の法学者はフランスよりもドイツのほうが好きな人が多いのですが、ドイツを基準にすれば約16万人になります。しかし、そんな声は出てきませんでした。また、アメリカの制度をモデルにしたい人も多いのに、アメリカの弁護士人口を日本に当てはめると、当時で約41万人、現在では49万人を超えますが、そんな声もありませんでした。
日本独特の隣接士業の存在が考慮されていません。
何周遅れかの議論です。
――とても根拠があやふやな目標だったんですね。
この「5万人」を達成するために「2010年頃に新司法試験の合格者数を3000人まで増加させる」という目標も決まりました。さらに新司法試験は、ロースクールを卒業しなければ受験できないけれど、受験者の7、8割が合格できるようにするというのです。
合格率7、8割であれば、受験者数は3700人から4300人程度です。旧司法試験時代には数万人が受けていた試験ですから、受験者数をおさえないといけなくなります。ところが、どうやってその数をおさえるのか、という方策がまったく示されませんでした。
初年度は約7万人がロースクールを目指して、約8000人が入学しました。合格者数3000人というのは、約7万人から考えれば合格率が1割を切ってしまうことになるのですが、ロースクールを出た人の7、8割が受かるということだけが、強調されていました。
――入学者が8000人もいれば、当然、司法試験の受験者数も増えてしまうわけですが、当時、ロースクールの数を絞るという話はなかったんですか?
司法制度改革に関わった人の中にも「ロースクールが全国で70校以上もできるとは思わなかった」と言っている人がいました。おそらく少ないロースクールの数からスタートして、7、8割が合格すると思っていたのかもしれません。
しかし、設置基準を決めてどうぞと言えば、どんどん参入してくる可能性があるのは当然ですよね。規制改革の思想と司法制度改革は一体で進んできたので、ロースクールの数を人為的に絞るということ自体がおかしな発想です。そういうところからして、やはり理念と制度設計が整合していなかったのだと思います。
合格率が7、8割と喧伝されていた点については、無制限のロースクール設立が許容され、合格率がコントロールし得ない状況だったのは、そのとおりでしょう。
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根本の間違いは、「合格者数を3000人まで増加させる」です。合格者数の枠をとりはらってしまえば、ロースクールがいくらできても構わないわけですよ。
合格者数を無制限とすれば、ロースクールがいくらできても構わない、という主張ですが、弁護士がインフレ化し、その経済的価値が下落するでしょう。
弁護士は、魅力の乏しい職となり、若者が集まることはありません。
そもそも、合格者数は、司法試験委員会が受験者を学力判定した結果であって、自由に増減させることはできません。
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――ズバリ理想の「弁護士人口」はどれくらいでしょうか?
そのようなものを国が決めるべきではありません。誰かが決めるべきものではなくて、日本社会のマーケット全体の中で決まることです。アメリカの場合、資格試験なので7割くらいが受かりますけれど、弁護士マーケットが飽和状態であれば、能力のある人は他の道を選びます。このように受験者側が調整していくわけです。
「仕事にあぶれた弁護士は、弁護士をやめればいい」、それは1つのスタンスと思いますが、法曹志願者としては、職業訓練に多大な経済的時間的負担を先払いさせられながら、競争が激しければ弁護士ができないことになり、弁護士は非常にリスクの高い選択肢となります。
そのような制度設計であれば、法曹志願者が激減するのは当然の結果でしょう。
一方で、国家公務員や地方公務員の法律業務は、すべて弁護士がやるべきだと私は考えています。また、大企業の法務部だけでなく、法務部のない中小企業も社内に弁護士を最低1人雇っていれば、トータルの紛争コストを節約できます。中小企業の上位1割だけでも約35万社あるわけで、1社1人となれば、中小企業だけで少なくとも35万人の弁護士が必要になります。何十万人かいないと足りないわけですね。
弁護士がインフレ化すれば、社内弁護士の給与賞与も、一般社員と同等となり、ロースクールにかかるコストに見合わないとして、やはり法曹志願者は激減するでしょう。
国民の中でも、弁護士に相談したことがない人どころか、そもそも弁護士に会ったこともない人が少なくありません。一方で、医者を見たことのない人はいないですよね。医師は約34万人で、歯科医師を含めると約44万人です。それに匹敵するくらいの数が必要なのかもしれません。
このような「肌感覚」で、弁護士の数を考えるのは馬鹿げています。
弁護士に相談する頻度と、医者に受診してもらう頻度が、同じくらいという社会的事実はあるのでしょうか。
――少し話が戻りますが、「失敗の背景」には何があると思いますか?
司法制度改革は、大学や日弁連だけでなく、最高裁や法務省、文部科学省といった「日本の法律関係のエスタブリッシュメント」が総力を挙げて推進したものです。ところが、日弁連は前向きにやると言いながらも、内部には増員に反対する勢力を抱えていました。
歴史上、どんなギルド制度についても言えることですが、少数安定の生活が保たれている人たちにとって、参入障壁を下げることは、競争相手が増えることを意味するので、必ず反対の声が出てきます。その声を抑えられるだけの強固な政策論を打ち出す必要があったわけですが、まったくなかったのです。
日弁連は一貫としてロースクールを推進しています。
安直な陰謀論に思えます。
つまり、非常に高尚な「理念」を掲げつつ、その「理念」から制度を切り離して、数字だけポンと出てきて、その数字は非常に根拠があやふやで、それに帳尻を合わせるように制度が作られて、増員反対の声が強くなるとすぐ合格者の数を減らしていくという経緯をたどったのです。
繰り返しになりますが、合格者数は、司法試験委員会が受験者を学力判定した結果であって、恣意的に増減させたわけではありません。
「増員反対の声が強くなるとすぐ合格者の数を減らしていくという経緯をたどった」というの指摘には、根拠があるのでしょうか。
結局のところ、私の印象でいえば、既存の法曹の「エリート意識」が失敗の背景にあると思います。「少数精鋭の優秀な法曹によって、これまでの司法制度は支えられてきた。それ自体はまったく間違ってない」という意識です。
だから、弁護士人口を増やすことで「質が落ちてきた」という声が出ると、「そら見たことか」という話になる。以前のように「少数精鋭にすべきだ」と思っている人たちが潜在的にいるために、一部の弁護士が数を減らせと声を上げると、それには強く反対できない。それでズルズルとその方向にむかってしまう。
弁護士に限らず、裁判官もそうですけど、功成り名を遂げた法律家たちが「最近、若手の質が落ちた」とか「我々の時代はもっと厳選されていた」ということをよく口にするのですが、その意識がある間は法曹を増やせないですよ。
この「エリート意識」は非常に高い壁で、何とか打ち崩さないといけないと思います。そのためには多様な弁護士を求める声が社会から高まる必要があるでしょう。「あなた方は確かに優秀だけれど、でもあなた方だけではダメな社会になってきているのです」という声です。
「エリート意識」なるものが仮にあるとして、その「エリート意識」があると、法曹を増やせなくなるという関連性が、まったくわかりません。
反対派弁護士の意識にそのような魔術的な力があるなら、ロースクール制度は、とっくの昔に廃止されているでしょう。
むしろ、ロースクールが教育の質をあげて、修了生が司法試験で高い成績をおさめて、司法試験委員をして「みな優秀すぎて全員合格になってしまう」と、嬉しい悲鳴を出させれば、法曹は激増します。
反対派弁護士の意識などにかかわりなく、弁護士を激増させることは容易なはずです。
また、弁護士の資格を持つことは、超エリートの保証があるということではなくて、これから法律家のマーケットで競争していくためのスタートラインに立つことにすぎないんだ、競争する資格を得たに過ぎないんだ、という発想の転換もしないといけないでしょう。
先ほど、「中小企業の上位1割だけでも約35万社あるわけで、1社1人となれば、中小企業だけで少なくとも35万人の弁護士が必要になります」などという夢想が語られていましたが、同じ口から出た言葉とは思えません。
「弁護士の資格は、マーケットでスタートラインに立つことにすぎない」のであれば、資格のない法務部員と競争して、社内弁護士の給与コストを払ってでもペイすると、中小企業の上位約35万社に評価して頂く努力が必要になります。
社内弁護士の付加価値を認めて頂けなければ、給与賞与は、一般社員と同等となります。
――ロースクールができたばかりのころは、弁護士になれるという"夢"も広がりました。ロースクール自体は良かったのではないでしょうか。
開校初年度(2004年)は良かったですね。非常に優秀な人たちが集まっていたと思います。みんな授業のときに目が輝いていました。ただズルズルと入ってきた法学部出身者とは違って、何かを振り切って、そこに来た人たちですからね。自分の目標が非常にはっきりしていて、そのために勉強をするんだという姿勢が強かった。
だから、授業する教員にとっても非常に刺激がありましたし、もしこれを持続できていれば、とても素晴らしかったと思います。ただ、そのためには合格者数を万に近づけるくらい覚悟しないと、とても持続できないでしょうね。
ちなみに、ロースクール開校当初は、旧司組が大量にロースクールに進学したと思います。
法律の勉強が進んでいる人も、多かったはずです。
――反省を活かして、どう改善していくべきでしょうか?
まずは「失敗だった」と認めることでしょう。ただ、それは制度を作った人の責任問題になります。責任を取りたくないのが日本の文化ですから、失敗を認めず、みんなで決めたんだから誰も悪くないということで、現行制度を存続させながら、弥縫策を重ねています。
多様なバックグラウンドを持った法曹を養成するという目標も達成できないまま、その負の遺産が毎年積み重なっている状態です。それによって、法曹を目指す人たちにしわ寄せがいっています。「失敗だった」と認めなければ、なぜそうなったのかを検証できませんし、きちんとした改善策を立てることもできません。
政府の肝いりで司法制度改革審議会が作られて、その意見を尊重するという形で進められたわけですから、国がきちんと責任を負って検証すべきでしょう。一方で、何でも国任せというのは、規制改革の時代にふさわしくないので、民間からも声を上げて、その失敗の原因は何であったかということを炙り出していくことも求められると思います。
法曹志願者にとって、コストに対してリターンがペイしない制度設計になっていることが、ロースクール失敗の原因でしょう。
――弁護士が食えないというような話もあります。
まったくそんなことはないと思います。営業センスのない人が弁護士事務所を開設して、じっと座っていてもお客さんが来なくて、収入が入らず、貯金もなくなり、食べていけないというならば、事務所をたたんで、ふつうの会社に就職すればよいのです。弁護士の仕事は事務所で働くだけではないですから。
そのような割り切りもありですが、競争相手が多くレッドオーシャンということであれば、弁護士業は、若者にとってリスキーで魅力に乏しい職と見えるでしょう。
――ロースクールの教育はどうあるべきでしょうか?
大学教授は受験教育ではなくもっと高度な教育をすべきです。そして、その対象は司法試験受験生ではなく、専門性を求める弁護士であるべきでしょう。弁護士が生き残りのために専門性を求めるときに、大学教授から専門知識を授かれば、仕事に役立つ知識をどんどん吸収できると思います。
しかし、現在は、大学教授の能力を無駄遣いしています。学生から「ちょっと答案みてくれませんか?」と頼まれて、答案の書き方を指導するというのは、学者がやるべき仕事じゃないし、まったく自分に向かないことを無理やりやらされていると思います。本来、受験テクニックは予備校に任せればいいのです。
ロースクール制度は、いまのままだと、その専門性を身につけるうえで妨げになってさえいます。若い時期の貴重な時間を、試験のための勉強に費やしすぎです。試験のための勉強は、そんな何年も耐えられるものではありません。あんなに長くやったら、法学の面白みがなくなりますよ。それに耐えた人しか入れないというのでは、偏った人材しか来なくなってしまいます。
受験勉強をアプリオリに悪とみなすのは、ロースクール推進派のなぞの習性です。
条文知識と基本的な判例がしっかり入っている弁護士の方が、あやふやな弁護士より、実務的に使えるのは明らかです。
――学問の発展のためにも、ロースクールの位置づけは再考したほうがいいということですね。
今は弁護士になるのに、コストとリスクが大きい。それでもあえて法律実務家を目指す人たちは、本当に立派だと思います。しかし、本来は、もう少しきちんと法律関係の仕事の魅力を幅広く若者に伝えると同時に、その中に入ってきやすくするのが、制度設計者側の責任です。それがきちんと果たされていないために、若い人たちにしわ寄せがいく。それは気の毒だと思っています。
「法律関係の仕事の魅力」の広報などは、制度設計者の仕事ではありません。
待遇は悪いのに、「アットホームな職場です!」などとそれ以外の魅力を変にアピールするのは、ブラック企業のやりくちです。
弁護士業のリターンがコストに見合うものにして、若者が一生をかけたいと思う魅力的な職業にすることが、制度設計者の責任です。
「弁護士甘えるな」論と、「法曹志願者、弁護士業を甘く見るな」という檄を、混同してしまっている印象です。
「法曹志願者、弁護士業を甘く見るな」などと言えば、選択肢のある若者は、他の職業へ行ってしまうことが目に見えています。
それに気づかないというのは、「弁護士は高尚な職業で、なんだかんだ言っても若者の垂涎の的である」という、ある種の「エリート意識」なのではないでしょうか。
というわけで、一曲歌います。
お前をうちに入学させる前に 言っておきたいことがある
かなりきびしい話もするが 俺の本音を聴いておけ
給料がグッと上がることを 期待してはいけない
事務所運営の安定性も 求めてはいけない
ロースクールにかけたお金と時間のリターンを 求めてもいけない
激増し続ける同業者の中で いつまでも競争しろ
競争に敗れたら ふつうの会社に就職してかまわないから
忘れてくれるな 大学教授から 専門知識を授かれば
仕事に役立つ 知識をどんどん吸収できることを
お前のエリート意識は 何とか打ち崩さないといけないから
コストリターンの関係がおかしい制度設計に 文句を言わず 黙って弁護士になればいい
ロースクール宣言 - タダスケの日記
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