三十一歳女性の家に住みはじめるまで、私は一人のネコ好きを自認していた。なんせ実家でもネコを飼っていたし、犬と猫なら迷わずネコを選ぶほどのネコ好きである。
しかし、三十一歳女性と同居するようになり、この女の圧倒的なまでのネコ好きぶり、というかネコ狂いと言ってもいいような日常を目にした瞬間、気軽に自分はネコが好きだとか言えなくなった。
「好き」というのも相対的なものである。たとえば、あるアーティストのヒット曲をちらっと聞いて「好き」と言うのも、インディーズ時代から何十年と追っかけて「好き」と言うのも、言葉にするならば「好き」なわけである。
このズレから、いわゆる「古参ファンとにわかファン」みたいな揉め事も起こるんだろうが、その意味で言えば、私と三十一歳女性は、同じネコ好きでもレベルがぜんぜん違う。
そして、圧倒的な存在と同居したとき、人は自分の半端さを思い知らされるのだ。私はこの数年、もう気軽にネコ好きを自称できなくなっており、もちろん好きは好きなんだが、頭のなかでは常に「まあ中途半端だけど」と思っている。
例え話をしよう。
ロースクールが「俺、そこそこ法曹養成うまいよな」と思っている。平成15年度には53,876人の適性試験出願者を集めたし、直近でも1,800人程度の有為な法曹の人材が輩出されてきている*1。
これが、気軽にネコが好きだと言えていたころの自分である。
そんなローが、予備試験と同居することになる。私の現状はそれに近い。それでも以前と同じように「俺、けっこう法曹養成うまくね?」と言ってられるか、ということである。
以下、私は実際の予備試験がどんな制度なのかよく知らないので、「日常のあらゆる局面で圧倒的な法曹養成力をおしげもなく披露する人」という前提で書きますが、まず志願者が出願すると、これを受理した予備試験は、「ハ・ッ・ソ・ウッ!」と言いながら即受験票を発送してきますね。バカ高い学費や時間的拘束なしに、即発送してくれる。ただ、わずかな金額の受験料もちょっと取る。
それだけで、「中堅大学にしてはそこそこ法曹養成うまい」という半端な自負心などこっぱみじんに打ち砕かれ、私は耳まで真っ赤になる。予備試験の実力を、志願者にかかる負担の僅少さで感じるわけです。
予備試験は、その合格者に対し、ロー修了者と一緒に司法試験を受けさせるんですが、その際の結果も「ダ・ン・ト・ツッ!」であり、合格率を高く維持しながら、ちょっと司法試験の受験料も取る。わずかに残ったローへの入学者数が、さらに地に落ちる。
これで私は張り合う気持ちもなくなり、自分がいかに安易に、大学関係者だけの狭い世界で、「法曹養成のうまい自分」などという自意識を醸成していたかを思い知らされる。
そして私は落ち込みはじめる。しかし予備試験というのは優しい人だから(たぶん)、そんな私に気づいて、夕飯のときに声をかけてくれる。
「まずは法曹を養成したいっていう気持ちが大事なんだ。うまいへたの前にね。法曹を養成したいんだろう? それならいいじゃないか」
そういう趣旨のことを言ってくる。しかし、このなぐさめも、それ自体が「幅広い教養、豊かな人間性及び職業倫理」(司法制度改革推進法2条)を備えていることの現れですからね。どう考えても私は、豊かな人間性の育成ですら予備試験に負けている。
さて、予備試験との共同生活が始まり、5月中旬になるころ、ロー修了者に対して司法試験が実施される。前述したように、この友人たちのあいだでは、自分は法曹養成がうまい男として通っている。周囲も気軽に褒めてくるわけです。「おまえは法曹養成うめえからな〜」みたいに。
だから今回も褒めてくる。しかし以前のように簡単に浮かれることができない。家にいる予備試験のことが頭をちらついている。いまごろ予備試験合格者も、簡単になった司法試験を、内心で鼻唄を歌いながら受験しているんだろう、その答案は鼻唄を歌いながらであるはずなのに司法試験委員が思わず読み惚れてしまうような見事なものになってるんだろう。そんな予備試験を知りながら、「おまえ法曹養成うめえからな〜」という友人の誉め言葉を素直に飲み込めるか。
さらに、そんな時に限って、推進派がインタビュー記事に答えて増員維持をぶちあげ、私は乗せられて、勢いのままに「サン・ゼン・ニンッ!」などと叫んでしまい、「出ました激増論!得意の激増論!」と友人たちからチヤホヤされ、場を盛り下げたくないからその言葉を受け入れたふりをしつつ、心の中では泣いている。
そして、友人の中には物事を客観的に見ることができず無自覚に身内びいきをするような存在が一人くらい混ざっているものだから、「弊害のある予備試験より法曹養成うまいんじゃね!?」という軽薄な言葉まで言われてしまう。それで私は顔が真っ赤になり、それ以上その場にいることに耐えられなくなって、法科大学院特別委員会を飛び出してしまう。「どこ行くんだよ!」「平成27年から平成30年度まで法科大学院を集中改革しようぜ!」*2という言葉を背中に聞きながら。
深夜一時、私が法科大学院特別委員会から戻ると、予備試験はソファで眠っている。私は予備試験に毛布をかけてやり、司法試験合格者の進路の調査結果に目を通す。その内容を見て「予備試験合格者って就職にも強いんだな…」と思い、その瞬間、悲しさのあまり涙が出てくる。
私は手のひらに顔をうずめ、声を殺して一人で泣く。
「ΠγガⅢ▽Ё…◎⊿」
ソファから予備試験の寝言が聞こえる。予備試験はすやすやと眠っているが、きっと夢の中でも勉強しているんだろう。その寝言は著名判例の規範を完璧に再現している。つい先ほどロー修了者が司法試験で書いた論文は、寝言の予備試験合格者にすら負けているだろう。私は涙に濡れた目を予備試験に向けながら、「これが本物なんだ……これが本物だったんだ……」と何度もつぶやく。
みたいなことですね。
例え話がずいぶん長くなっちゃって、何のことだか分からなくなってきましたが、要するに私の言いたいことは二点だけで、第一に、本物のネコ狂いと同居すると、気軽に自分はネコが好きだとか言えなくなるということ。そして第二に、ロースクール制度は絶対に存続しないということですね。だって、資格試験の本質に従って公平に試験をすればいいのに、受験するまでに莫大な金と時間がかかる制度だったら、法曹養成うまいとか以前に、制度自体が頭おかしいもん。絶対こんな制度は存続しないと思います。国学院大法科大学院も募集停止になったしね。
元ネタ
Bzの稲葉と同居しても、自分は歌がうまいと思えるか? - 真顔日記
http://diary.uedakeita.net/entry/2015/06/17/000754
国学院大も法科大学院の募集停止「維持は限界」 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
国学院大学(東京都)は16日、法科大学院の学生募集を2016年度から停止すると発表した。
開設した04年度は55人が入学したが、15年度の入学者は5人にとどまり、「維持・運営するには限界」としている。文部科学省によると、法科大学院の廃止や募集停止は28校目。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20150616-OYT1T50117.html
あとがき
元ネタがとても面白いので、お時間があれば読んでみることをおすすめ致します。