タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

「閣議決定された法曹人口の拡大が、弁護士会の反対で実現しなかった」という誤った認識を示す文部科学大臣補佐官(文部科学大臣補佐官,鈴木寛)

「お前,それはドコ情報だ」と小一時間問い詰めたい衝動にかられますが。

閣議決定された法曹人口の拡大が、弁護士会の反対で実現しなかった」のか?

人材育成:日本の大学の何が問題か | nippon.com

法科大学院ポスドク問題はなぜ起きたか?
一方で、開放型の失敗例としては、法科大学院ポスドク問題などが挙げられる。
法科大学院構想については、閣議決定された法曹人口の拡大が、弁護士会の反対で実現しなかったことと、各大学の無理な設置認可申請に対して、「競争して淘汰されればいい」という考えに流され、過剰認可を承知で認可したことで、後に混乱した。
http://www.nippon.com/ja/in-depth/a05101/

閣議決定された法曹人口の拡大」すなわち合格者3000人について,その不達成の原因については,以前のエントリーでも書きました。

合格者が2000人に「抑えられている」のは法曹三者の都合か? - タダスケの日記
http://d.hatena.ne.jp/tadasukeneko/20140502/1399045364

あらためて該当箇所をわかりやすくピックアップします。

法曹養成制度検討会議第14回(平成25年6月6日開催)
http://www.moj.go.jp/housei/shihouseido/housei10_00031.html

議事録[PDF:293KB]
http://www.moj.go.jp/content/000112645.pdf

p10
○丸島委員
今の点についてあまり繰り返して深入りするつもりはないですけれども,司法試験委員会が一定の合格基準に基づいて合格者を決める。これは原則の考え方としてはそうだろうと思います

しかし他方で,この間,新たな制度に基づいて,3,000人という政策目標を目指して,毎年数値目標を設定してきた合格ラインというのは,250点は合格だが,249点では駄目だというほどに線引きが明確なものではありませんから,一定の幅の中で質を見てこの辺りならいいだろうということでやっておられるのだろうと思います

そうすると一定の政策目標に基づき,このぐらいの合格者数を目指すべき例えば二千名余の合格者を目指せというときは,一定の質の幅の中でできるだけ精一杯目標数に近い数のところで合格ラインを設定しておられたというのが実態なのではないかと私は思いますし,社会的にもそのように見られていたのではないでしょうか。<<

さらに要約すると,

  1. 合格者を決め,ひいては合格者数を決定しているのは,司法試験委員会である。
  2. その司法試験委員会は,増員という政策目標に基づき,質の確保とのバランスに配慮しつつも合格判定の基準を甘くして極力,増員させてきた。

ということのようです。

ここには,弁護士会のべの字も出てきません。

なお,和田委員からは,弁護士(会)はおろか,裁判官・検察といった「法曹三者」が,かやの外に置かれてきた,という指摘がされています。

p22
○和田委員
法曹養成制度を検討する場合に,もちろん法曹三者以外の方の視点も必要で大変貴重であるとは思いますけれども,例えば司法試験の試験科目にしても,法曹実務家を養成する場面での各科目の持つ意味はどういうものなのかという話になりますと,法曹三者でないと実際上議論が十分できないように思います。

私は,決して法曹三者が偉いとか偉くないとかいうつもりは全くありません。
そうではなくて,法曹養成という事の性質上,実情をよく知っている法曹三者が当事者となって初めて実情を踏まえた十分な議論ができるように思うだけです。
もし,失礼に感じる方がいらっしゃるとすれば申し訳ないと思うんですけれども,率直に言って,法曹三者が当事者とならなかったということが,この検討会議を含めこれまでの会議の限界であったように感じます

「競争して淘汰されればいい」という考えがあったのか?

また,発言の後半部分も認識の誤りです。

各大学の無理な設置認可申請に対して、「競争して淘汰されればいい」という考えに流され、過剰認可を承知で認可したことで、後に混乱した。

これも以前のエントリーで書きました。

「法曹人口がどれくらいであるのが適切かは,本来,社会の需要やマーケットとの関係で決まる」,井上正仁,2002年 - タダスケの日記
http://d.hatena.ne.jp/tadasukeneko/20130608

詳細を知りたい方はリンク先を見て頂きたいですが,簡単に要約すると,司法制度改革の当初は,3000人をはるかに上回る需要を見込んでおり,そうであれば,ロースクールが「競争して淘汰」されるなどというつもりは毛頭なかったものと推察されます。

もっとも,この人の面白いところは,学生の質(社会に出たときは弁護士になるので,弁護士の質と言い換えてもいいでしょう)の低下を正面から認めている点です。

制度発足当初は、新制度への期待から有意な人材が集まるが、教育を受けた若者がハッピーな出口に恵まれず、まず若者に失望感が広がる。その結果、有意な人材は入ってこなくなり、実社会が受け皿を用意したころには学生の質を確保できなくなり、今度は、実社会側に失望感が広がるという悪循環になる。

法科大学院教育は絶対善か

この人の文章の全体を見て感じるのは,法科大学院教育は良いものであるが,様々な難点があり効果を発揮できていない,というような認識です。
しかし,その前提から再考してみなければならないと思うのです。

法曹養育制度の目的は,広い意味での良質な司法サービスを国民に提供することでしょう。

この目的との関連において,法科大学院教育がむしろ目的達成を阻害することもありうると思うのです。

具体的には,旧司法試験と比べて法曹志願者が9割減少しているわけですから,少ない母数から合格者を選んでいる状態となっており,その選抜された者=弁護士の質は低下しているものと思われます。
一方,法科大学院を廃止すれば(または司法試験受験資格付与の権限を剥奪すれば)法曹志願者が回復して,多くの母数から合格者を厳選できるので,弁護士の質が向上する(回復する)と思われます。
こちらの方が,良質な司法サービスを国民に提供しやすい状態です。
手間暇コストをかけて法科大学院教育を施して,かえって弁護士の質が低下したら,とても馬鹿らしいと思います。

(比喩なので,もしかしたら正確ではないかもしれませんが)
例えば,会社員が無理に残業を繰り返して,睡眠不足など体調不調に陥り,その結果,通常の勤務時間内でもフラフラするような状態になったとしたら,かえってトータルの生産性が落ちることも考えられます。
それであれば,残業をしないようにして,通常の勤務内の集中力を高めることで,かえって生産性をあげることができることもありえるでしょう。
ここでは,「残業」を「よく頑張っている」などと神聖視しないで,社会人として冷静にそのアウトプット,成果を見積もることが肝要です。

法科大学院教育についても,「専門的な課程を経ているからこれは良いに決まっている」などと神聖視しないで,ロースクールがある法曹養成と,ない法曹養成をシミュレートして,どちらがより「良質な司法サービスの提供」という成果をあげやすいかを,冷静に見積もるべきだと思います。

幹部名簿:文部科学省
大臣補佐官 鈴木 寛(すずき ひろし)
http://www.mext.go.jp/b_menu/soshiki2/kanbumeibo.htm