タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

司法試験の合格者についての声明に対する声明

司法試験の合格者についての声明

2 司法改革の精神に反し、法科大学院制度を崩壊に導きかねない不当な政策

司法試験の合格者数は、2013 年度までは 2,000 人を超えていたが、その後減少に転じ、昨年度には 1,450 人と 1,500 人を下回ったが、本年度は 1,421 人と、2007年以降での過去最低をさらに更新した。

これは、極めて異常な数値である。

そもそも、法科大学院制度を導入し、法曹養成制度の中核とする改革が行われる以前の旧司法試験でさえ、1,483 人が合格したこともある。しかし、新規に法曹資格を得る者が 1,500 人程度では、社会の要請に応えられないとして、毎年、少なくとも 3,000 人程度の、多種多様な新規法曹を生み出すために導入されたのが、法科大学院制度なのである。

ところが、その法科大学院制度のもとで、司法試験合格者の数が 1,500 人を下回るというのでは、何のために法科大学院制度を導入したのか分からない。

しかも、合格者のうち 374 人(合格者全体の約 26%)は、法科大学院を修了していない予備試験合格者というのであるから、事態は一層深刻である。

社会人経験者や法学部以外の学部の出身者など多様な知識経験を有する多くの法曹を養成しようとした法科大学院制度を崩壊に導きかねない法務省司法試験委員会の政策は直ちに改められなければならない。

http://lawyer-mirai.com/file/seimei_12.pdf

ロースクール関係者の方でしょうか。毎年のように繰り返される法曹志願者減少とその批判を目の当たりにして疲弊しているのだろうとお察しします。

ただ、仰っている内容はどれも妥当性に乏しいので、公言されるとますます批判の声が強まってしまうことが危惧されます。

ご自身の反論が有効かどうかを検証する有力な方法は「他の法曹養成制度である予備試験に対してこのロジックは通用するか?」という考え方です。以下、すべてこのアプローチでご説明します。

まず「法科大学院の構想は正しいのだから,結果が出るようになんとかしてくれ」というのは論理が全く逆で、学生に莫大な時間的経済的な負担がかかる法科大学院制度を導入したのですから,結果を出すのは当然の責務であり,結果が出ていないのであれば,構想が間違っているのです。

予備試験合格者の司法試験合格率93.50%をご覧頂ければ,予備試験は多数の優秀な人材を輩出して結果を出していることがわかるでしょう。

しかも,司法試験受験資格に要する費用は,わずかです。

ロースクールの場合は,学生は累計で数百万円と数年間もつぎ込まざるを得ないのですから、予備試験に比べて,はるかに高い合格率を出してもおかしくないはずです。

にもかかわらず,毎年毎年予備試験に合格率トップを奪われて後塵を拝しているのですから,当然国民は納得しないでしょう。

最初からそんな法曹養成制度はやめて,そのまま旧司法試験を廃止せずに残すべきだったという判断もあり得たはずです。

そもそもなぜ学生に重い負担を課すようなロースクールが設立されたのかと言えば、予備校へ学生の流出が起こり、旧態依然とした大学のシステムでは,実績において予備校に対抗することが不可能だったため,制度的に対抗しようとしたからです。

旧司法試験では,どんな人でも公平に試験を受けられる、重い経済的,時間的負担とは程遠い世界でした。 そんな旧司法試験システムで,「司法試験は、裁判官、検察官又は弁護士となろうとする者に必要な学識及びその応用能力を有するかどうかを判定する」(司法試験法1条)という司法試験法の目的は十分に達成可能であって,優秀な法曹を輩出するというだけなら大規模な刷新は不要でした。

司法制度改革を続けたいならば,このような問題のない旧司法試験を廃止して,学生に重い負担を課すようにした分,優秀な終了生を輩出できて高い司法試験合格率を叩き出して当然のはずなのです。少なくとも予備試験に負けないくらいには。

次に「法務省司法試験委員会が悪い」論ですが、これも残念ながら,予備試験も同様に,法務省司法試験委員会による選抜を経ており、かつ毎年,司法試験合格率において断トツ(断然トップ)の結果を残しているのですから,法務省司法試験委員会のせいにするのは分が悪いでしょう。

法務省司法試験委員会による全く同じ選抜を経たのに結果が異なるのはなぜでしょうか。

法曹に必要な能力を育成するのに,学校など不要だからです。

ロースクール推進派の陣営は,金科玉条のように「プロセスによる養成」をマジックワードのように唱え,それがアプリオリに良いものであり何ら批判されることはないと,大いなる勘違いをしていることが明らかです。

おそらくロースクールのfutureをcreateする会さんも同じ勘違いをされているのではないでしょうか。

「プロセスによる養成」という一見耳障りのよい方法論に飛びつくの前に,学生にどのような作用を生じさせれば司法試験に合格する優秀な人材を養成することができるかを考えなければ,現場の方法論に落とし込むことができません。

具体的には,動かない知識を押さえることが,もっとも効率が良いでしょう。

動かない知識から演繹できる,あてはめに相当する訓練をいくらしても,効率は良くありません。 それは,本試験の現場で,常識を用いて考えればいいのです。

ましてや,「動かない知識」をマスターしていない状態で,初学者がいくら集まって議論をしても,法的素養の育成につながるとは到底思えません。

参考となる動画

www.youtube.com

「動かない知識」を押さえるには,自学自習がもっとも効率が良いです。 例えるなら、人が走るには,二人三脚より,1人で走った方がよほど速く走れるようなものです。

私も法曹志願の若者の話を聞くこともありますが、「ロースクールは嫌だ」というコメントは珍しくありません。同じ法曹養成過程なのに、なぜ予備試験とは異なる判断をされるのでしょうか。

その忌避感を「心の貧困」と捉えている限り改善は望めません。

「ではどうすればいいのか」というのは現時点で誰もがわかっています。

法科大学院修了を,司法試験受験資格から外せばいいのです(当の法科大学院関係者自身もわかっているでしょう)。

それなのに,法務省司法試験委員会のせいにしているうちは解決は望めないでしょう。

ロースクールのfutureをcreateする会さんが仮に法科大学院内部の方であるならば、そのような他責思考に陥ってしまう派閥内文化が醸成されている可能性が高く、それは即ち法科大学院反対派やメディアの指摘が正しい傍証になってしまっています。

法科大学院への批判に対して憤懣やるかたない思いを覚えてしまうのは愛校精神があるからだと思いますが、是非ともその愛校精神は責任転嫁や正当化ではなく、法曹養成制度の改善という方向に使って頂きたいと思います。

元ネタ

peing.net