タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

多様な法曹の具体例が書けなかった朝日新聞,(法科大学院―「多様な法曹」のために,朝日新聞2013/7/2)

読後に,まるで度の合わないメガネをかけてしまったときのような軽いめまいを覚えるような,モヤモヤとした文章でした。

ただ,面白いのが,多様な法曹の具体例を言うべきところで言えなかったことで,かえって「朝日新聞は,法曹の多様性など,本音では大して良いものとは思っていない」ということが,逆説的に明らかになってしまっています。

法科大学院―「多様な法曹」のために
http://www.asahi.com/paper/editorial20130702.html#Edit2


出だしは,(珍しく)割と正確に事実を書いています。

法律家を育てる法科大学院が崖っぷちにある。

司法制度改革の柱として創設されて10年になるが、政府の検討会議は、目標に掲げた「質・量ともに豊かな法曹」の実現がこのままでは難しいとの最終提言をまとめた。

ただ,次の文章は問題を含みます。

法科大学院は司法試験を受けるのに先立ち、考える力や人間性を養う場としてできた。
旧司法試験が合格率2〜3%の狭き門で、受験技術の偏重が批判されてきたためだ

合格率は,合格者数÷受験者数 から,機械的に計算されるものです。
これが「狭き門」にすると,必然的に「受験技術の偏重」が起こるのであれば(ここは疑問がありますが),法科大学院があろうとなかろうと,合格者数が減り,受験者数が増えれば,やはり「受験技術の偏重」が起きてきます。

つまり,法科大学院ができたことで,旧試験の「受験技術の偏重」が解消されたというのなら,それは間違っています。
現在の制度化でもなお,今後の,合格者数と受験者数の変動によっては,いつでも「狭き門」と化し,「受験技術の偏重」が起きてくるリスクが潜んでいるのです。

ところが、合格者は毎年2千人程度と、目標とされた3千人を大きく下回る。
合格率は2割台で、大学院に行っても法律家になれる確証はない

それでも法曹人口は12年間で7割増えており、合格しても職がない状況もうまれている

合格するのも難しければ,就職も難しいという,俗に言う,「踏んだり蹴ったり」ですね。
こんな状況を見ると,思わずお堅い判決文に,そう書いてしまいそうです。

これでは、意欲ある人材は集まらない。
実際、新制度になって以来、法科大学院志願者は減ってきている。

珍しく,正しい現状認識ですね。
これには異論ありません。

そこで検討会議が求めたのは、司法試験の結果が芳しくない法科大学院の再編と、合格者3千人という目標の撤回だ。

教育の質を保てない大学院が撤退するのは当然だろう。

しかし、司法試験の合格者を早く多く出すことだけが、法科大学院の使命ではない。

改革が求めた新しい法律家像は、知識はもちろん、洞察力、説得力、人権感覚、国際的視野を備えた存在だったはずだ。

このあたりから,よく分からない流れになってきましたが,ここの最後で,タイトルの「法曹の多様性」の記述がようやく出てきました。

現実には、法科大学院に飛び込んだ社会人、理系出身者などが司法試験で苦戦している。
実務を想定した講義や外国法、法曹倫理などの科目は、司法試験に直結しないからと学生に軽視されがちだ。

旧制度に戻りつつあるのではないか。

法科大学院の数を絞れば、全体の合格率は上がるが、それだけでは改革がめざした「多様な法曹」はうまれない。

「法曹の多様性」が達成されていない現状が説明されています。

社会が求める法曹の姿はさまざまだ。
法律家をめざす一人ひとりの強みを評価するには、どんな司法試験がいいのか、考え直す必要もある。

「法律家をめざす一人ひとりの強み」というのは,試験の点数だけに表れない,個々人の個性,つまり多様性,ということを言っているのでしょう。

この次から,論旨が決定的にダメになってしまいました。

司法試験の合格者3千人という数にこだわることはない。
とはいえ、社会のすみずみに法律サービスがゆきわたっているといえるだろうか。

これは,弁護士の「潜在的需要論」とも言うべきものですが,多様性とは関係ないでしょう。
そんな「潜在的需要」があるのなら,需要に比べて弁護士が少ないということですから,黙って「弁護士を増やせ」と言えば足りる話です。
わざわざ「多様性」を持ち出す必要がありません。
(「多様性」があれば,より良い,という考えはあるかもしれませんが)

悪質商法や詐欺など、法的な助言があれば防げたかもしれないトラブルはあとを絶たない。

次のこの例も,「多様性」とは関係ありません。
悪質商法や詐欺」といった案件であれば,法学部出身者でも変わらずに処理できるでしょう。

ここでは,社会人経験者,理系出身者であるからこそ有効に解決できた事例が来なければ,文章の流れがおかしくなります。

兵庫県明石市は5人の弁護士を職員に採用し、お年寄りから相続などの相談を受けているが、こんな実践はまだまれだ。

これも「多様性」と関係ありません。
明石市が,これらの弁護士職員を,社会人経験者,理系出身者の中から特に選んだ,という話は聞いたことがありません。

必要なとき、当たり前に法律家を頼れる。そうなる工夫の余地はまだまだある。

これも「潜在的需要論」の話です。
普通に読めば,数が多いといいですね,ということであって,「多様性」と関係ありません。


社説氏の心のうちを推測する

社説を書くのに,事前にあらすじを考えるのか,フリーハンドで書き始めるのか,存じ上げませんが,社説氏が途中まで書きすすめたときに,『「法曹の多様性」があると,こんなメリットがある』,という具体的な例が,社説氏の脳裏に思い浮かばなかったのでしょう。

その後は,確信犯(誤用の方)的なのか,うっかりミスなのか不明ですが,論点ブロックで機械的に暗記した論証を吐き出すかのように,書き慣れた「潜在的需要論」を継ぎ足してしまったのでしょう。

このような経緯だとすると,結局,「朝日新聞は,法曹の多様性など,本音では大して良いものとは思っていない」「良く分かっていない」と,推測せざるを得ないことになります。