タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

ロースクールが無用の機関と化した経緯,「司法制度改革,佐藤幸治,竹下守夫,井上正仁」

前回のエントリーに引き続いて,「司法制度改革」を見ながら,司法制度改革が,当初の目論見からどのようにずれていったかを検討したいと思います。

司法制度改革

司法制度改革

ロー賛成派の言うキーワードの1つに,「プロセスとしての法曹養成」がありますが,司法制度改革の当初にはどのようなものとして観念されていたかを見てみました。


結論から言いますと,ロースクールと司法試験の関係が,現在の運用よりもはるかに有機的に連携するものとしてイメージされていたようです。
具体的には,ロースクールが主,司法試験が従,の関係にあるものとして,司法試験は,ロースクールでの教育の成果を確認する程度の軽いものにすることが理想とされていたようです。

法律の勉強自体が面白いという感覚で勉強するのが理想

以下,少し長いですが,恣意的な要約とならないために,また,面白い部分もあったために,長めに引用します。

「司法制度改革」p215
佐藤幸治(以下,佐藤)
司法試験受験者が増え,しかし合格者は増えないということになれば,異常なほど狭い一発試験ということになる。
そして,そうなれば,人間誰でもいかに効率的に合格するかを考えます。
これは人間の本性と言ってもいいわけで,それが良いとか悪いとかは言えない。

そうすると,試験という一種の強迫観念の下で,勉強自体を楽しむというよりも,余計なことは考えず,いかに効率的に勉強するかという傾向が生ずることは避け難い。
また,本来資質に恵まれていると思われる人が,人生設計上リスキーな司法試験を忌避するという傾向も出てきたように思われます。

ですから,それが,「国民の社会生活上の医師」の教育としてふさわしいものかどうか。
もっと精神的に余裕を持って,勉強自体がおもしろいという感覚の下に一生懸命勉強していただくにはどうすべきか。
おもしろいと思って懸命に勉強すれば,ほぼ司法試験に通るというシステムを作る必要があるのではないか

勉強に効率を持ち込むことを嫌悪し,勉強は本来面白いものであるべきだという理念を持つ,頭の中がお花畑ないかにも学者らしい発想です。

法曹養成制度も国の政策の1つとして,コストとリターンのバランスをとりながら,継続的に運用されるように設計されなければならないところ,こうした学者の理念を優先し,コストを軽視ないし無視した発想が,悪い方向に出てしまったと感じます。

学者を養成する機関であればこれでいいのでしょうが,実務家は,依頼者の問題解決にかかるコストとリターンの関係も考えて,依頼者にとってベストの紛争解決手段を選択しますし,また仕事である以上,効率的に処理してコストの低減を図るのは当然のことですので,ロースクールでこれらの観念を排除する合理性はありません。
というより,むしろ積極的に教えるべきとさえ思います。

それはともかく,佐藤氏の考えでは,ロースクールでは学生が,司法試験にとらわれず,法律の勉強自体が面白いという感覚で勉強することが理想とされていたようです。


司法試験をどのようなものとして設計するか

このような考え方を採ると,司法試験はどのようなものとして設計されるのか。

p238
佐藤
司法試験のあり方については,先に少し触れましたように,法科大学院における徹底した教育ということを前提に,
その成果を確認するということが出発点だと思います。
ですから,法科大学院が順調に成長していき,本当にその趣旨にふさわしい教育がなされ,成績評価や修了認定も厳格に行われるようになった暁には,そこまでのヘビーな試験はやらなくてもいい,ということにだって,将来なりうると思います

p238
井上
法科大学院では,自分でものを調べたり,考えて,また他人と議論をしながら,問題の解決策を見つけだしていくということに重点を置いた教育をやってもらい,
司法試験はその成果を見るような試験にする,ということにしておく必要があります。

司法試験は,ロースクールでの教育の成果を見る程度の軽い試験にするのが理想,と位置付けられるようです。

このように,あくまでロースクールが主,司法試験が従,という関係にありますので,ロースクールで司法試験のための受験指導をする,ということは,ありえないわけです。

法曹養成制度検討会議において,和田委員が,ロースクールでの司法試験のための受験指導の解禁を主張しておられますが,そもそもの受験指導禁止の根拠が不明確とされることがありますが,このような司法制度改革当初の学者の発想に端を発しているのかもしれません。

法曹養成制度検討会議第13回(平成25年5月30日開催)
【資料3】和田委員提出意見 [PDF]
http://www.moj.go.jp/content/000111351.pdf

しかし,理由はわかりませんが,現在まで司法試験は「ロースクールでの教育の成果を見るような軽い試験」にはなっておらず,他方で,ロースクールでの受験指導を解禁するような,司法試験を主,ロースクールを従,とするような方向に思い切って舵を切ることも出来ていません。

その結果,司法試験の負担(低い合格率と受験回数制限による受験機会の制限)は重いまま,ロースクールと司法試験の関係は切断され,ロースクールは試験にも実務にも役に立たない内容を教えながら重い経済的,時間的負担を課す,無用の機関と化しています。

しかも,司法試験合格率を,下位ロースクール統廃合の基準とするなど,司法試験を主,ロースクールを従とする現実の関係性を反映させながら,受験指導を禁止するような,ロースクールを主とする建前も併存させているため,1つの制度の中に相反する2つの基本思想が入り混じり,矛盾,混乱の度合いを深めているわけです。