タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

和田委員を意識する井上委員,法曹養成制度検討会議 第6回会議 議事録(平成24年12月25日開催)

議事録がアップされていました。

法曹養成制度検討会議 第6回会議 議事録
http://www.moj.go.jp/content/000106819.pdf

まず,和田委員が5点にわたって的確な指摘をされています。

p7
○和田委員
私は,現状では法科大学院修了を司法試験の受験要件から外すべきだというふうに考えていますけれども,仮に外さないこととした場合にも,3回又は5年という現在の回数制限,期間制限は廃止すべきではないかというふうに考えています。
その理由を述べさせていただきたいと思います。

まず第1に,もともとは,「普通に勉強していれば修了生の7,8割が司法試験に合格するということなので,3回以内あるいは5年以内に合格しない人はよほど法律に向いていないのだろう。」という前提があったはずだと思います。多くの人がそういうふうに理解したからこそ,そのような制度導入に反対意見がほとんどなかったんだと思います。
ところが,司法試験の合格率が2,3割である現状というのは,全くそのような前提ではなくなっているわけで,制度導入のときの合理性はなくなっているというべきだと思います。

第2に,私は,この制度が学生に対して極めて大きな精神的負担となっているということを,改めて認識する必要があると思います。
私は,法科大学院修了の少し前の状態にある教え子と話をしたことがありますけれども,彼はこういうことを言っていました。
既に数百万円もの借金を抱えた状態であると。もし今後3回以内あるいは5年以内に司法試験に合格できずに受験資格を失った場合のことを考えると,その場合には自殺するということも真剣に選択肢の中に入っている,というふうに言っていました。
そこまで人を追い詰めることになる制度というのは,制度としておかしいと思います。医師の国家試験が9割以上の合格率で
も回数制限がないということと比べても,受験生に余りにも酷な制度になっていると思います。

第3に,司法試験の受験資格の回数制限,期間制限について,法科大学院における教育効果が3回程度ないし5年程度で薄れるということを根拠にする考え方は,建前論にすぎるように思います。実態は,多くの法科大学院では,以前お話ししましたように,司法試験に余り役に立たず,実務にも余り役に立たないという授業が多く行われていて,そのために,一般の学生は法科大学院の修了が決まった段階から本格的に司法試験の勉強を始めるわけです。
そのように言っている修了生は非常に多いです。
だから,受験の準備が間に合わずに受け控えする人が多いわけです。
私には,法科大学院における教育効果が薄れたら受験する資格がない,とする合理性はないように思われます。

さらにもし,法科大学院における教育効果が時間とともに薄れるというのであれば,それは不合格の場合に限らず,合格した場合でも薄れてしまうはずであって,その点からも回数制限,期間制限の根拠とするのは疑問があると思います。

第4に,回数制限,期間制限を廃止すると,司法試験の受験者数は増えますので,司法試験の全体の合格率は低下することになります。そうすると,法曹志願者がさらに減少するかもしれないという可能性の点も検討する必要があると思います。
しかし,現在のままでも,回数制限,期間制限によって,多額の借金を抱えたまま受験資格を失うという極めて大きなリスクがあり,それも大きな一因となって,法曹志願者が減少し続けているわけです。
それと比べると,回数制限,期間制限を廃止した場合には,司法試験の合格率は低下しても受験資格は失わないのですから,その方が法曹志願者がさらに減少する,とは即断できないように思われます。

さらに実質的に考えた場合には,司法試験受験者が回数,年数を重ねれば重ねるほど,先ほど資料にありましたように,司法試験の合格率は下がるのが実態のようです。
つまり,例えば1回目に受けた人たちの合格率よりも,2回目に受けた人たちの合格率の方が低いということですね。
そうすると,回数制限,期間制限を廃止して,長期にわたって受験する人がいたとしても,もともと早期に合格する力のある人の合格率は,実質的にはそれほど下がらないように思われます。

そして,もし法曹志願者を減少させないよう,司法試験の合格率が下がらないようにするために,回数制限,期間制限を維持するとすれば,それは回数制限,期間制限の本来の趣旨と異なっているわけで,そうである以上,せめて法科大学院生全員に対するアンケートで,現在の制度と司法試験の合格率が低下しても回数制限,期間制限がない制度とのどちらが望ましいか,という点についての調査をすべきであるように思われます。

第5に,いつまでも受験できるとすると,その人のためにならない,その人に別の道への転進を促すために回数制限,期間制限が必要である,という議論も先ほどのようにあります。
しかし,それはその人が決めるべきことで,その人が「受験を続けたい。」と言っているのに,「これ以上の受験はあなたのためにならない。」と言うのは,過度の介入であるように思われます。
また,もし本人のために受験回数,受験期間を制限するというのであれば,本人がその制限にかからないように,本人のために法科大学院で受験指導をすることを公式に認めるべきであって,法科大学院で公式には受験指導を禁止しながら本人のために回数制限,期間制限をするというのは,私には矛盾があるように思われます。以上です。

これに反応したのが井上委員。

p12
○井上委員
また和田委員のお話では,2割,3割しか受かっていないのはロースクールの教育が全くなっていないからだというように聞こえたのですけれども,そうおっしゃりながら,回数制限のところになると,3,000になっていないから制限をやめろ,緩和しろとおっしゃる。ここのところは,そういう使い分けをされることに正直,違和感を感じます。誤解かもしれませんが。

井上委員が,何を反論されているのかが不明です。
これに対応する和田委員の指摘は,「第1に」の部分と思われます。

○和田委員
まず第1に,もともとは,「普通に勉強していれば修了生の7,8割が司法試験に合格するということなので,3回以内あるいは5年以内に合格しない人はよほど法律に向いていないのだろう。」という前提があったはずだと思います。多くの人がそういうふうに理解したからこそ,そのような制度導入に反対意見がほとんどなかったんだと思います。
ところが,司法試験の合格率が2,3割である現状というのは,全くそのような前提ではなくなっているわけで,制度導入のときの合理性はなくなっているというべきだと思います。

2割,3割しか受かっていないのはロースクールの教育が全くなっていないからですし,こんな低い合格率に留まる現状では,当初7,8割を想定して設けた回数制限に合理性がない,ということで,何もおかしくないと思います。
井上委員自身も「誤解かもしれませんが」とおっしゃっておられますが,言っていておかしい感じがしたのではないでしょうか。

この後は,疑問点の連発でした。

○井上委員
ただ,審議会のときからそうなのですけれども,司法試験の話になると,受験生にとってどれがプレッシャーが少ないだろうかとか,あるいは法曹界の事情とか,そういう目線でどうも語られ過ぎるところがあって,無論それも大事ですけれども,制度全体として,どのようにして合理的で健全な制度として組んで動かしていくのか

ロースクール制度が,制度全体として,「合理的で健全な制度」なんですか?

○井上委員
最終的には,サービスを受ける国民にとって,良質なサービスを提供する法曹を相当程度,毎年育てていくということが目標であって,

ロースクール制度が,「国民にとって,良質なサービスを提供する法曹を相当程度,毎年育ててい」ける制度なのでしょうか?

○井上委員
そのためにはどうすればいいのか,そのためのシステム全体の健全さを確保するためにどうすればいいのか,そういう目線で考えないと,大きく間違ってしまうと思うのです。

ロースクール制度は,「システム全体の健全さ」の確保が考えられていたんですか!!!

「そうだ,京都に行こう!」的な,その場の勢いやノリで作られたものとばかり思っておりました。

この「システム」が何を意味しているのか,今一つ不明確ですが,法曹志願者→ロースクール→修習→弁護士,という一連のプロセスを見ると,弁護士は就職難,経営難ですし,修習は貸与制の強制借金制度ですし,ロースクールは多額の学費が必要なのに役に立たないことしか教えられないですし,他方,国民にとっては,1回性のサービスであるにも関わらず弁護士の質の低下が問題になっていますし,健全なところを探すのが難しいくらいです。

人為的に過度に増やし過ぎた合格者数を抑制し,弁護士の増員のスピードを緩めて,弁護士が経済的にペイする職業であることを守り,また,資格取得コストを可能な限り下げるためロースクールの廃止または受験資格要件を撤廃する,と,こういうことが,全体の健全化を確保する,ということではないでしょうか。

ロースクール周辺に限っても,ロースクールが多額の費用を受け取って,学生を時間的に拘束し,長時間あれやこれやと関わりながら,肝心の司法試験において,この経験が役に立たず,学生は学校外での相当量の自学自習が必要となる,という状態は,かなり不健全だと思っています。

受験に役に立たないなら,ローを受験資格要件としないか,または,学生をかなり拘束するのであれば,それ引きかえに,学生の学校外での自力での研鑽がそれほどいらない制度にするか,どちらかにする必要があるでしょう。

p11
○井上委員
制度導入の趣旨につきましては,今,丸島委員がおっしゃったとおりですけれども,それ以前の旧試験の状態がどうだったか,異常と言えるほどの過酷な受験競争だったわけです
そのときも,和田委員の言葉をお借りすれば,トップクラスの優秀な人にとっては,実質競争率は見かけほど高くはなかったのかもしれませんけれども,この異常な競争状態が全体にどういう影響を及ぼしていたのか,それをもはや見過ごすことができないということで,新たな法曹養成制度を改革審としては提案したのです。その趣旨からしますと,そういう異常な状態に戻さないようにするというための措置を幾つか講じておかないといけないわけで,その一つが受験回数制限であったわけです。そ

しきりと,旧試験の「過酷な受験競争」の弊害をおっしゃっておられますが,競争というのは,志願者数と合格者数の比から決まるもので,競争を緩和したいのであれば,合格者数を増やせばいいだけの話です。

また,現状の2000人であれば,最大でも1500人だった旧司法試験よりも大幅に合格者が多いのですから,何もしなくとも競争はかなりの程度,緩和されているでしょう。
一説には,1500人で大分,在庫がはけた(合格待ちの実力者が合格できた)と評されていましたが。

かつての若手優遇策の丙案は,受験生間の公平を害する*1として強く批判され,廃止に追い込まれましたが,三振制は,受験生間の公平を害するのはもちろん,受験の機会そのものを奪うという,優先枠を与える以上に強い制約を課すものにも関わらず,現在施行されていることには驚きを感じます。
しかも,旧試験とは異なり,受験の機会を奪われるのは,受験資格を得るために何百万円という高い費用を払った人たちです。

無理が通れば道理が引っ込む,とはこういうことかと感じます。

*1:資格試験であれば,点数の上下だけで判断されるべきであるところ,点数の低い若手が,これより点数の高い非若手に優越してしまう