タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

「弁護士激増と司法の課題」(視点・論点)(NHK 解説委員室 | 解説アーカイブス)

放送も拝見したのですが,テキストも公開されていました。

「弁護士激増と司法の課題」(視点・論点
愛知大学法科大学院教授 森山 文昭
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/250421.html

法曹志願者の激減の原因は,弁護士の経済的価値の下落

司法試験の志願者は、合格者が増えると徐々に増えていき、2003年には5万人を数えるようになりました。そして、その翌年に法科大学院が設立されたのですが、皮肉なことに、その後は志願者が年々減り続け、今では1万人程度になってしまいました。
合格者が500人程度だった時代でも、志願者は2〜3万人程いたのですから、その時と比べても大変な減りようです。

なぜ、このようなことになってしまったのでしょうか。
その最大の要因は、司法試験の合格者を急激に増やしたことによって、弁護士の数が増え過ぎてしまった、という点にあります
司法試験の合格者が500人程度であった頃と比べますと、今では3倍近くの弁護士が働くようになっています。しかし、現在の日本では、弁護士の仕事は、民事事件も刑事事件も減っています。

その結果、法律事務所の経営が苦しくなっています。弁護士の所得も下がっています
そのため、司法試験に合格しても就職する法律事務所が見つからない、という人がたくさん生まれるようになりました。就職できたとしても、その先の生活が心配です
こうして、多くの人が法曹になることを敬遠するようになりました。

いきなり本丸に切り込んでいました。
弁護士のインフレ化により,その経済的状況が悪化しているという指摘です。
一部のロー推進派からは「知ったことか」と切って捨てれられていますが,ここでは「最大の要因」と指摘されています。

現在の制度では人材の多様性が失われている

このことは、これから法曹になろうとする、若い人にだけ関係する問題ではありません。
法曹志望者が減るということは、優秀で多様な人材が法曹界に集まらなくなる、ということを意味しています。

法曹志願者が激減しているということは,もちろん優秀な人材が逃げていっているということを意味しますが,個人的に面白かったのは,人材の多様性も失われているという指摘です。

ロースクール創設時には,ローに行けば,他学部出身者も社会人も猫もしゃくしも弁護士になれる!というような勢いで,多様性を売りにしていましたが,これが促進されるどころか失われているとのことです。
ローにも公金が入っています。
コストをかけたのなら,良くなって当然で,かけたコストに比べてどの程度良くなったのか,費用対効果,コストパフォーマンスが問題となるものですが,コストをかけて悪化しているのなら,議論の余地はありません。即座にその制度を廃止すべきでしょう。

司法制度改革により質が低下する弁護士

このことは、これから法曹になろうとする、若い人にだけ関係する問題ではありません。
法曹志望者が減るということは、優秀で多様な人材が法曹界に集まらなくなる、ということを意味しています。
しかも、司法試験の合格者が増えると、合格ラインも下がるわけですから、国民が安心して依頼できる法曹の質が十分に保たれるか、という心配が出てきます。

こうした心配をなくすためには、教育と研修を充実させる必要があります

数が増え,競争が緩くなることにより,弁護士の質が低下する,と指摘されています。
これはその通りでしょう。

もっとも,その対策としては,緩い競争を抜けて来た者を「教育と研修」でなんとかするというよりは,ロースクールによる不合理な制約をなくして,公正な競争を促した方が,弁護士の質の向上にとって実効的ですし,法曹志願者の人権・自由の見地からも望ましいと思います。

「司法試験の合格者500人にすべき」

このような状態を改善するためには、どうしたらよいのでしょうか。
現在起きている問題は、弁護士を増やし過ぎたことによって起きているのですから、まず、司法試験合格者数を以前の500人程度に戻すべきだと、私は思います

昨年、政府の法曹養成制度改革推進会議は、司法試験合格者数が1500人以下にはならないように努力する、ということを決めました。
しかし、それでは弁護士数は増え続け、弊害がますます拡大してしまいます。現状では、毎年500人程度の法曹が、年齢などの理由で現役を引退されていますので、司法試験合格者数を500人程度にすれば、法曹人口は、当面、現状維持となります。その間に司法改革をやり直すことが重要ではないか、と私は思います

司法試験の合格者を500人にすべき,と主張されています。
弁護士を増やしすぎたのだから,減らすとまでいかなくとも,増加を抑制する。押してもダメなら引いてみる,という,シンプルで合理的な発想です。
もっともそうなれば,少なくとも現状と同じ環境であれば,ロースクールも存続しえないでしょう。
ロースクールも,まったく別物と言えるくらいに,抜本的な改革を要求されると思います。

間違いだった弁護士の需要予測

以前行われた司法改革は、とにかく弁護士の数を増やすことありき、というものでした。
そのため、実際の需要がどれだけあるのかという調査も、全く行われませんでした

弁護士の需要の調査が全く行われなかった,との指摘です。
それは,おそらくその通りなのですが,司法制度改革の制度設計者も,需要と供給のバランスをまったく失念していたわけではなく,需要の予想はしていたようです(客観的な調査はなかったようですが)。

ただ,それが3000人をはるかに上回ると想定しており,それが大きく外れたために現在の惨状を招いているようです。

この点については,以前の弊ブログで書いたことがありました。

弊ブログ,関連エントリー
「法曹人口がどれくらいであるのが適切かは,本来,社会の需要やマーケットとの関係で決まる」,井上正仁,2002年

この3000人に関連して,付け加えておきたいのは,これでとどまるという趣旨ではないということです
先ほど来「当面」という言い方をしてきましたが,3000人というのは,まず目指すべき目標数字であって,そのために法科大学院を作って,やりましょう,ということなのです。」

http://d.hatena.ne.jp/tadasukeneko/20130608

受験生の経済的負担の問題

次に、受験生の経済的負担の問題も重要です法科大学院ができてからは、原則として法科大学院を卒業しないと、司法試験を受験することができなくなりました。
そのため、法科大学院在学中の学費と生活費の負担が、受験生とその親御さんの肩にずっしりと重くのしかかってくるようになりました。

加えて以前は、司法試験に合格して司法修習生になりますと、給費が支給されていたのですが、この制度も廃止され、いまでは貸与制に変わりました。
の貸与金や奨学金を含む借金が、1000万円を超えるという人も珍しくありません

受験生の経済的負担は,大きな問題ですが,いわば「一時的な負担」です。
つまり,フローとして,たとえば年100円,他の職業に就いた場合より利益が多いのであれば,1000万円も10年でペイできます。
(受験期間の逸失利益まで考えると,実質的な負担はより大きいでしょうけれど)

数字として見えやすい学費や生活費の負担が問題であることは間違いないのですが,背後にある弁護士の経済的価値の低下の方が,より大きい問題であるとも考えられます。

予備試験の制限はするべきではない

現在は、法科大学院に進学することが難しい人たちのために、法科大学院を卒業しなくても、予備試験に合格すれば司法試験を受験することができる、という制度があります。
法科大学院は、卒業しないと司法試験の受験資格が得られません。

これに対して、予備試験は、いつでも誰でも受験することができますので、予備試験に合格して司法試験を目指そう、という人が一定数存在しています。
このような現状に対して、予備試験に人が流れるのは本来の姿ではないということで、予備試験の受験資格を制限するべきだという考えもあります

しかし、そのようなことをすれば、法曹を志す人が、もっと減ってしまう恐れがあります。
しかも、人々の自然な流れにさからって、強制的に法科大学院へ進学させようとしても、それは、根本的な解決にならないだろうと思います

古い話ですが,ストーカーというものが社会問題となり始め,複数のテレビ局でドラマ化されたこともありました。

ストーカー 逃げきれぬ愛
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC_%E9%80%83%E3%81%92%E3%81%8D%E3%82%8C%E3%81%AC%E6%84%9B

ストーカー・誘う女
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E8%AA%98%E3%81%86%E5%A5%B3

例えば,ある男性が,Aという女性と交際しており,Bという女性がいわゆるストーカーであった場合,Bは以下のようなことを言ったりします。

Aがいるからあなたは私(B)と付き合えないのね。Aが悪いのね。Aがいなくなれば,あなたは自由になれるのね。そして私(B)と付き合えるようになれるね。」

しかし男性は,「いや,俺はAを愛している。Aと別れたからといっても君(B)と付き合うとは限らない。というか,愛するAを引き離そうとする君(B)のことを,ますます嫌いになりそうなのだが」と思ってたりします。

ロースクール推進派の言う「予備試験を制限すべき」という主張を見ると,これと似ていると思うのです。

ロー推進派「予備試験があるから,法曹志願者はローに進学してくれないのだね。予備試験が悪いのだね。予備試験が制限されれば,法曹志願者は自由になって,喜んでローに進学するようになるだろう。」

法曹志願者「いや,俺は予備試験を受けたい。予備試験が制限されたとしても,ローに進学するとは限らない。というか,ローの不合理性を棚に上げて予備試験の道を閉ざそうとするロー推進派を見ると,ますますローに愛想が尽きるのだが


話が逸れましたが,予備試験を制限したとしても,ローの人気回復にはつながらない,という点では,本解説の意見に賛同できます。

ロースクールは自らの魅力で学生を集めるべき

仮に、法科大学院の卒業が司法試験の受験資格ではなくなったとしても多くの人が自発的に法科大学院で学びたいと思うような、すばらしい教育を提供して、人々の足が自然と法科大学院に向かうようにする、ということが最も大事なことではないでしょうか

これには完全に同意します。

ロースクールによっては,夜間講座を開講して,社会人が通学できるようにするという動きもあります。

ロースクールの授業が魅力的であって,たとえば若手弁護士が「やっぱりロースクールで法曹倫理を体系的に勉強したい」と思ったときに,仕事をしながら夜間ロースクールに通学する,というような状況を目指すべきだと思うのです。

もちろん,現実的にはかなり難しいことだとは思います。
しかし,そうだとしても,そのような魅力に乏しいロースクールを,なぜ強制できるのか,という点はやはり問題になってくると思います。
(ローの経営が厳しいから強制する,というのが理由にならないことは言うまでもありません)