私は、R法科大学院の教員採用試験にトップで合格し、法科大学院教員として好スタートを切ろうとしていた。
だが、ある日、R法科大学院の学長に呼び出される。
目の上の瘤である、司法試験合格率第1位のY備試験に対抗するため、新たな特別なロースクールを設立して欲しいと言うのだ。
成功して戻って来れば、理事待遇を約束された私は、それに応じることにした。
私は、新たな新興ロースクールのKロースクールを設立した。
しかし、ほんの少しの手柄で戻るのは情けない。
どうせならば、Y備試験の受験者を根こそぎ奪って手土産としたい。
そう考えた私は法曹志願者をゲットするべく必死に働いた。
既存ロースクールの連中は、文科省に陳情するくせに教育意欲を失ったりと大変だったが、私は違った。
なにしろ、Y備試験を徹底的に殲滅しなければならないのだ。
残業、早出、休日出勤は当たり前だ。
それだけ、Y備試験の殲滅に近付けるのだから。
授業時間外の学生の指導も買って出た。
こうして、学生からも信頼を勝ち得て行った。
そんな中で、Y備試験に対抗するためには、ロースクールの学費と時間的拘束が問題であることが分かってきた。
まず、返還義務のない奨学金を大幅に拡充した。
そんなKロースクールの取り組みは、法曹志願者の目にすぐに留まった。
法曹志願者からの評価は日に日に高まり、異例の入学者増を果たした。
だが、まだ足りない。
Y備試験にもっと対抗できるローにならなければ。
私は遮二無二働いた。
飛び級制度を導入し、ロースクール修了の期間を短縮し、さらに法曹志願者からの覚えは良くなった。
私は、学生の前でも本当の目的、「Y備試験の殲滅」を見せなかった。
常に法曹志願者のことを考えた良いロースクールの学長を演じ、それに喜んだ学生は、ネット上でもKロースクールを褒め称えた。
Kロースクールの評判はさらに良くなった。
優秀な若者からも注目され、彼らが入学して後に司法試験に合格することで、遂に司法試験合格率の上位校の列に名を連ねた。
だが、まだ不足だ。
もう少しで、Y備試験のすべてに対抗できるのだ。
時が過ぎ、飛び級制度が拡充され、Kロースクールにおける未修者の所要期間は2年、1年、半年と短縮されていき、遂に所要期間はゼロ、つまり、入学試験合格により、すべての単位が認定されるようになった。
(入学式は、修了式を兼ねるようになった。)
「プロセスによる法曹養成」が不十分にならないかが懸念されたが、高い人気に支えられた33倍の入学倍率が、学生の質を担保した。
また、このような厳しい競争により選抜されたKロースクールの修了生は、求人活動を行う弁護士事務所から地頭の良さを推定され、青田買いされる風潮まで生まれた。
さらに、学費負担は、わずかな額の施設利用料のみとなったが、その費用も、すべての学生に対して、返還義務のない奨学金が与えられるようになったので、実質的な学費負担はゼロとなった。
法曹志願者からの支持は、頂点に達した。
他のロースクールは、Y備試験に合格、またはKロースクールに入学できない者が行くものとされ、明確な序列が生じた。
Y備試験に完全に対抗できるようになったのだ。
さて、R法科大学院に戻ろうか……と考えて、おかしなことに気付いた。
Kロースクールは、素質ある学生、修了生の活躍もあり、司法試験合格率は、Y備試験と毎年トップを争っている。
私はその学長である。
ここで、Rロースクールに戻ったところで格が下がるだけではなかろうか。
そう気付いた私は戻るのを止めた。
一方、Rロースクールは驚いていた。
目論みは上手く行っていた、Kロースクールは、Y備試験に勝るとも劣らないほど、法曹志願者を集めるローになったのだ。
ところが、当の私が帰って来ない。
連絡をとってもあしらわれる日々。
それどころか、Rロースクールは、Y備試験に加えて、Kロースクールにも法曹志願者を奪われ、経営は苦しくなる一方だった。
業を煮やしたRロースクールは、私の正体を暴露した……。
これを聞きつけた法曹志願者は、憤慨した。
Kロースクールは、誰でも司法試験に挑戦できるようにしてくれる、素晴らしい学校だ。
既得権益にまみれ、法曹志願者からそっぽを向かれたRロースクールが、反省するどころか、こんな嘘で貶めようなんてひど過ぎる、と。
法曹志願者たちは一致団結し、憎きRロースクールを徹底的に嫌悪し、敬遠した。
入学者が途絶えたRロースクールはすぐに廃校になってしまった―――エンド。
あとがき
学費と時間的負担というローの問題のうち、学費については、優秀な人は返還免除の奨学金でケアされますが、これは予備試験と同じロジック(優秀な人は金銭的負担を免れる)ではないでしょうか。
これに、飛び級制度を極限まで広げたら、もはや予備試験と同じでは、と思ったことから着想しました。
元ネタ
ミステリ通信 創刊号
私はR産業の入社試験にトップで合格し、社会人として好スタートを切ろうとしていた。
だが、ある日、R産業の社長に呼び出される。
目の上の瘤である業界第1位のK産業に産業スパイとして入社して欲しいと言うのだ。
成功して戻って来れば役員待遇を約束された私はそれに応じることに。K産業に入社した私。
しかし、ほんの少しの手柄で戻るのは情けない。
どうせならば、K産業の内情を根こそぎ奪って手土産としたい。
そう考えた私は信用を得るべく必死に働いた。同期入社の連中は、目的意識を失ったりと大変だったが、私は違った。
なにしろ、K産業の情報を持ち帰らなければならないのだ。
残業、早出、休日出勤は当たり前だ。
それだけ、K産業の秘密に近付けるのだから。
同僚の仕事も買って出た。
こうして、同僚からも信頼を勝ち得て行った。そんな私の働きぶりは、上層部の目にすぐに留まった。
評価は日に日に高まり、異例の出世を果たした。
だが、まだ足りない。
K産業の情報をもっと掴める立場にならなければ。私は遮二無二働いた。
役員の娘を妻にし、さらに覚えは良くなった。
私は妻の前でも自分を見せなかった。
常に良い夫を演じ、それに喜んだ妻は実家でも私を褒め称えた。
私の評判はさらに良くなった。社長からも注目され、遂に役員の列に名を連ねた。
だが、まだ不足だ。
もう少しで、K産業のすべてを掴めるのだ。時が過ぎ、遂に私は前社長の指名を受け社長となった。
K産業のすべてを握ったのだ。
さて、R産業に戻ろうか……と考えて、おかしなことに気付いた。K産業は私の活躍もあり、未だ業界トップだ。
私はそのトップである。
ここで、R産業に戻ったところで格が下がるだけではなかろうか。
そう気付いた私は戻るのを止めた。一方、R産業社長は驚いていた。
目論みは上手く行っていた、スパイは社長にまでなったのだ。
ところが、当のスパイが帰って来ない。
連絡をとってもあしらわれる日々。
業を煮やしたR産業社長はK産業社長の正体を暴露した……。これを聞きつけたK産業の社員は憤慨した。
新社長は素晴らしい人だ。
それをこんな嘘で貶めようなんて酷過ぎる、と。彼らは一致団結し、憎きR産業と徹底的に戦った。
R産業はすぐに倒産してしまった―――エンド。
司法試験予備試験の合格者356人 現役学生、79%に増加
日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG06H4I_W4A101C1CR8000/