タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

「窓」―憲法の使い方,渡辺雅昭,2013年02月13日

給費制廃止違憲訴訟について,司法修習生が,「給費制にしないのは違憲だ,差別だ」という,その言い分は,「どこまで人びとの共感を得るだろうか」と,批判的に紹介していました。

国民の意思という多数派の論理がすべて正しいなら,国会さえあればいいわけで,「少数派の人権の砦」としての裁判所は不要になってしまいます。

憲法の人権規定も不要になってしまいます。
国民代表たる国会議員が作った政策に対して,「人びとの共感を得」ないからといって,権利侵害を主張できないなら,すべて国会の政策に任せるしかなくなってしまいます。
ここに,人権規定は無用の長物と化してしまいます。

逆に言うと,「人びとの共感を得」ない,小数者が起こす人権訴訟は,当然に想定されているわけです。

よりによって,給費制廃止違憲訴訟に対する批判の材料として,「人びとの共感」を持ち出すとは,憲法に無知であることをさらけ出しているとしか言いようがありません。

また,元修習生が持つ,裁判を受ける権利を軽視する姿勢も,読者を呆れさせます。
提訴の動き自体を否定するということは,裁判の場で白黒つけようとしてはいけない,元修習生は不服があっても泣寝入りしろ,ということなのでしょうか。

それならそれで,そのような裁判を利用するのに慎重な社会であれば,弁護士の人数はそれほど必要なくなりますが,朝日新聞社のこれまでの主張であった弁護士激増論と矛盾しないでしょうか。

こんな憲法の誤解に基づいた国民を誤導しかねない記事は,読者の「共感を得られない」ので,事前に検閲して,発行禁止にするべきでした。
国民の共感を大切にする渡辺論説委員なら,きっとこの提案に賛成してくれるでしょう。
よもや「新聞社には表現の自由がある,検閲は違憲だ」などと,「人びとの共感を得」られない権利主張はしないでしょうね。

それとも,大新聞社の論説委員ですら,憲法のイロハのイを知らず,無知を全国に発信しているのが日本の現状であり,弁護士の潜在的需要はまだまだたくさんある,という,自虐ネタを形を取った,高度にひねった激増賛成論なのでしょうか。

弁護士激増策によりロースクールで理念を学んだ質の高い弁護士が世の中にあふれておりますので,朝日新聞社は,うっかりとその無知をさらけ出すのを避けるためには,社内弁護士を大勢を雇って,記事の内容のリーガルチェックをしてもらうことを強くお勧めします。