タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

法曹養成制度検討会議第3回議事録(平成24年10月30日開催)

議事録が公開されていました。

法曹養成制度検討会議第3回(平成24年10月30日開催)
http://www.moj.go.jp/housei/shihouseido/housei10_00007.html

議事録
http://www.moj.go.jp/housei/shihouseido/housei10_00007.html

○佐々木座長

資料1の8ページをちょっと開いていただきたいと思います。
新旧の法曹養成制度の枠組みに関する意見が取りまとめられております。右側に現在の法
曹養成の制度自体に対する批判がございまして,法科大学院を中核とするプロセスとしての
法曹養成に対する否定的な指摘の例として,司法試験の受験資格を撤廃すべきであるとの指
摘について整備されておりますので,その主な理由とされている点について,順次検討して
まいりたいと思います。必ずしも資料に挙げられた順番どおりではありませんが,まず③の
受験資格制限を撤廃することの有用性を指摘するものという点についてでありますが,これ
は現在の新制度の理念よりも,むしろ旧制度の方が望ましいものであったというような指摘
にもなっておりますので
,まずこの③といいますか,右側の指摘でいうと③の丸でくくった
ものです。この受験資格うんぬんということについて,これから御発言をいただくようにし
たいと思います。

ロースクール反対派も,旧司法試験に戻して,一行問題を復活させるべき,とは言っていないと思いますが。
「旧制度」とは,何のことを言っているのでしょうか?


例えば,制度が,A から B に変わって,B制度が批判されていたとします。

A → B

B制度の批判者は,A制度支持者ばかりでなく,別な新しい制度を支持している可能性があります。

A → B → C

佐々木座長以外にも,「旧制度に戻るわけにはいかない」とおっしゃる委員が複数いらっしゃいましたが,この点に違和感がありました。

詭弁の一種に「叩きやすい相手を勝手に想定して叩く」という論法がありますが,まるでこの種の詭弁を聞いたときのような不愉快さを感じました。
「旧司法試験に戻すと主張している奴はどこにいるんだ?」とツッコミたくなる感じです。


話は戻って,ここで参照されている資料1の8ページをちょっと開いてみました。

【資料1】法曹養成制度の理念と現状

資料1の8ページ

司法試験の受験資格を原則として法科大学院修了者のみとする制限を撤廃して,法科大学院を司法試験の受験資格とは無関係なものと位置付けるべきとの指摘

(主な理由)
① 法科大学院制度の負担の重さを指摘するもの
 ○ 法科大学院制度は,志願者にとって時間的負担・経済的負担が重く,特に,職に就いたまま学ぶことが難しい。さらに,養成過程が長期になるため,失敗したり,法曹への道を断念したときの転進がしにくい。
 ○ このような負担の重さが,法曹志願者の減少を招来している。このような負担の重い課程を必須のものとするだけの正当性(成果)がない。
② プロセスとしての法曹養成制度による目的の達成を疑問視する
 指摘
 ○ 法科大学院修了を受験資格としても,法科大学院が受験予備校化するだけであり,受験勉強重視の傾向が解決されたり,優秀な人材が養成できるわけではない。
③ 受験資格制限を撤廃することの有用性を指摘するもの
 ○ 受験資格制限を撤廃することにより,いつでも誰でも自由に受験できるようになり,有為で多様な人材が法曹を志願することができるようになる。
 ○ 受験資格制限を撤廃しても,法科大学院が真に優れた教育を行うのであれば,法科大学院に入学する者は減少しない。
④ 法科大学院制度を改革することが不可能であると指摘するもの
 ○ 法科大学院制度に種々の改革を施すのは,大学の自治を尊重する観点から問題がある。
http://www.moj.go.jp/content/000103608.pdf

結構,反対派の意見が載せられていますね。
少なくともこの資料を作った人は,危機感を抱いていたのでしょうか。

和田委員(弁護士)

○和田委員
③(注「受験資格制限を撤廃することの有用性を指摘するもの」)に限らない話になるかと思いますけれども,私は,現在の法科大学院における教育というのは,教員によってはあるいは大学によっては,一部によいものもあるとは思うものの,全体として見た場合には適切なものであると言い難いと思っていますので,現在の制度を大きく変えない限り,司法試験の受験の前提としてそのような法科大学院の教育を強制するということには合理性がないだろう,と考えています。

まったく同感です。

私は,法科大学院の現場での有様を具体的に御説明してから,関連する問題に入りたかったのですが,法科大学院についての具体的な話は次回と次々回でということですから,後回しにさせていただこうと思います。

今回はまず,私がなぜ法科大学院の現場を知っているのかということをわかっていただくために,恐縮ですけれども,私のバックグラウンドを簡単にお話しさせていただきたいと思っています。
(中略)

この後,和田委員の経歴が述べられています。

そして,内容に戻ります。

そのような私から見ますと,率直に言いまして,現在の法科大学院における教育というのは全体的に見て司法試験の受験にも余り役に立たず,実務をする上でも余り役に立たないという内容が多過ぎると感じられます。

まったく同感(以下,略)

学生にとっては2年ないし3年の時間と数百万円の費用等をかけて法科大学院での教育を受けないと司法試験が受験できないという現行制度については,一部の例外は別にしまして,現状ではそれを正当化できるだけの適切な教育がなされていない,と言わざるを得ないと思います。その具体的な話やその原因,あり得る対策についての話は次回以降にさせていただこうと考えています。

期待して待ちますwktk

ただ,先ほどの資料3の8ページの右側の②の3行目に,「法科大学院修了を受験資格としても,法科大学院が受験予備校化するだけであり」とある点については,私は,むしろ法科大学院が受験予備校化さえしていないというのが現状であると思います。

受験指導が禁止されていますからね。
司法試験の準備をすると,ロースクールの理念に反する・・・ということは,司法試験の内容が,ロースクールの理念に反しているのでしょうか?
分かりにくいですね。

私は,法科大学院では実務家養成をトータルとして行うべきであると思いますから,司法試験の受験のことだけ教えればいいとは思いませんけれども,法科大学院で教育を受けることが司法試験の受験資格になっていて,司法試験が実務家になるための実力を問うものとされているという以上,法科大学院でも司法試験の受験のことも教えるべきで,特に具体的な事例を使って文章を作成させて,それを教師が添削するといういわゆる答案練習,これは司法研修所では起案と呼ばれていますけれども,こういうものは司法試験に合格するためだけでなく,実務家の法曹養成プロセスとしても不可欠だと思います。
それにもかかわらず,法科大学院において,司法試験の受験指導をすることは公式には現在も禁止されています。一部緩和するような動きもないわけではありませんけれども。

ロースクールでは,書面を書く訓練が,決定的に欠けていると思います。
このことに1番,影響(被害)を受けるのは,純粋未修者でしょうね。
既修者や,「隠れ既修者」は,これにすぐに気付いて,ロースクールの授業からは距離を取るので,相対的に,純粋未修者に対して,訓練不足の影響が甚大となります。

ちなみに,医師を養成する医学部では国家試験の指導をしてはいけないとはされていないはずです。受験予備校化してはいけないなどとして司法試験の受験指導を排除しようとしているのは,何とかして司法試験に受かりたいという法科大学院に入学する学生の思いにも著しくかけ離れていると思います。
それが次の議題の法曹志願者の減少という問題にも十分つながっているのだというふうに思います。

学費が払えなくて,でも法曹になりたくて,難関の予備試験を一生懸命に受けている若い人に対して,「抜け道」呼ばわりして非難するような人達ですから,学生の思いからの著しい乖離というのは,同意できます。

田中委員(明治大学法科大学院法務研究科教授)

○田中委員

現在の法曹養成制度というのは,本日配布され,また説明もされました資料3,8,9などの記載内容からもうかがわれますとおり,旧司法試験の受験競争の弊害と,その改善の限界といった旧制度の病理現象が抜き差しならない状況に陥ったというところから導入されたものであります。

ロースクール卒業を受験資格とした)新司法試験だと,「受験競争の弊害」がなくなるのでしょうか?
受験者が多く,合格者が少なければ,必然的に競争が激しくなると思いますが。
それは,試験制度いかんに関わらないでしょう。
例えば,30000人がロースクールを卒業して,30000人が司法試験を受験し,2000人が合格するとすれば,現在の受験者が8000人のときと比べて,はるかに競争が激しいでしょうね。

法曹志願者が激減して,受験競争が緩くなった,ということを言っているのではないと思いますがw

資料4にも先ほど御紹介がありましたとおり,法科大学院教育の成果として例が挙がっております。これはなかなか外からではわからないところもございますが,私は,日頃の業務を通じて,法科大学院の教育成果は大変上がっているのではないかということを実感しております。

その点につきまして,我が田に水を引くようで大変恐縮でございますけれども,若干御紹介いたしますと,教室ではソクラティックメソッド等による双方向性の議論を大変重視しておりまして,生きた事例から読み取れる物事の本質でありますとか,あるいは問題解決に向けた判断の分岐点を考えさせるような,そういう授業が日々実践されております。

自己満足なだけでなければいいですが。
学生にも感想を聞いてみたいですね。

また,様々な教授手法の工夫というものも,この長い間になされまして,学生の授業における目の輝きというものも真剣そのものでございます。

万一,単位を落としたり留年したりすると,何十万という出費の増大につながりますからね。
所詮,単位認定権者である教授は,学生にとって権力者です。
本当に授業内容に興味を持っているのか,学生にも感想を(以下略)

いわゆる〓啄同時といったような,そういったものに似た現象も見られるところであります。
こういった授業運営が多くの教室で実践されておりますけれども,旧司法試験当時の大学の授業とは様変わりしているのではないかというふうに認識しております。

そんなに素晴らしい授業であれば,全員に対して強制するのではなく,行きたい人で,かつ何百万という学費を無理なく払える裕福な人が,任意に行くものにすることに,問題はないですね。

井上委員(東京大学大学院法学政治学研究科・法学部教授)

そういうことからしますと,法曹志願者の減少を食い止めるということも考えれば,司法試験の在り方も密接に関係するのですけれども,法科大学院の問題としても,いわば選択と集中によって法科大学院の全体の規模を適正化するということも恐らく必要になってくる。

やはり,そういう考えですか。

国民
↓①適性試験
ロースクール
↓②司法試験
弁護士

現行の制度では,このように2つの選抜試験があります。
弁護士になる人数を,2000人から大きく変えないのであれば,つまりお尻の出る人数を変えないのであれば,司法試験合格率を高めるには,1つ目の選抜過程である ①適性試験 で大きく絞るというのが1つの方法です。

模式的に表すと,以下のようになります。


【現行制度】

★★★★★★★★
↓①適性試験
★★★★ロースクール
↓②司法試験
★弁護士



選択と集中

★★★★★★★★
↓①適性試験
ロースクール
↓②司法試験
★弁護士

こうなると,①適性試験 の競争が激しくなり,弁護士になるための実質的な関門となります。

しかし,現行の適性試験は論理力などを審査するパズルのような問題が多いですから,このような選抜試験で,弁護士になる者を実質的に判別するというのは,問題があるような気がします。

それとも,適性試験も大きく改革するのでしょうか。


この考えは,下策だと思いますがね。

問題の本質は,弁護士の需要が想定より少なかったのにも関わらず,弁護士を激増させてあぶれた点にあるのですから,当面の策としては,合格者を減らして様子を見るしかないでしょう。

その後,弁護士の需要の掘り起こしを,実効性のある計画に基づいて実行するべきです。

こうした本質を隠ぺいして,いろいろといじっても,どこかにひずみが出てきます。

○岡田委員(消費生活専門相談員)

法科大学院に関してですが,旧試験のときは,皆さん学校の日も当たらないような研究室ないしは図書館で勉強していたように記憶していますが,法科大学院は24時間使える自習室が個人に与えられているというような,余りに設備等に費用をかけすぎている感じもします。

その辺も結局は学生の負担になっていくわけですから,学生も考えなきゃいけないかと思います。

今の若者は設備等に関心が高いようですが,少なくとも司法,法曹界へ進むような学生が,そういう意識を果たして持っているのかなという疑問も持ちました。
経済的にも負担がかからないような形を考えるべきではないかと思います。

この意見は面白いと思いました。

「設備は最低限しか揃えていませんが,その分,学費は他校の半分で,しかも教育のクオリティは落としません」というようなロースクールが出てきたら,差別化に成功して,学生が殺到するのではないでしょうか。

「余計なサービスは,いらない」というのは,床屋の1000円カットのQBハウスが伸びているように,時代のトレンドだと思っています。