タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

本当は恐い「プロセスによる法曹養成」(「法科大学院生レポート」法学セミナー2014/3)

雑誌「法学セミナー」には,「法科大学院生レポート」というコラムがあります。

その名の通り,法科大学院の学生が書いているコラムでして,(良くも悪くも)受験生チックなネタが多いように感じます。

その中で,少し古いものですが,面白いと思ったものを,以下紹介します。
(改行は,読みやすさのため,私が適宜追加しました。)

法科大学院生レポート」法学セミナー2014/3

「周りの変化に惑わされずに」(S)

 2013年が終わった。
自分の一年を振り返ってみると,良いことも,悪いこともともにある一年間だったと思う。
もっとも,私がこの一年間で一番感じたことは,法科大学院の外での,環境の変化であった。

 私は,来年度をもって,学部時代を合せ通算7年目の学生生活を迎えることになる。
ようするに小学校より長い時間を大学で過ごしているのだ。
これが小学生なら,同い年の子たちが,みな同じ立場にいるため周りを特に気にせずに,学校生活を送っているだろう。
しかし,大学院生ともなると,話が違ってくる。
自分と他の同級生の置かれている立場が大きく異なり始めているのだ。

 昨年末に中学校の同窓会があった。
同級生の中には,約10年ぶりに会う者もいた。
彼らの中には,結婚して子供がいる者や,海外に移住してそこで生活を営んでいる者もいた。
ただ一つ私以外の同級生の間に共通していることがあった。
それは,私以外は全員働いているということだ。

久しぶりにあった同級生と話をすると,必ず「今何処で働いているの。」と聞かれる。
そう聞かれると,私は「大学院で勉強をしている」と返答するしかなかった。
私以外の同級生はそれぞれ自分の生活を確立し,日々を過ごしている。
それに対して,私は未だに親の脛をかじりながら毎日を生きている。

 普段法科大学院で日々を過ごしていると,自分と同じような境遇にいる人たちに囲まれているため,司法試験関連のこと以外は,強く意識せずに過ごすことができる。
しかし,一歩法科大学院の外に出てみると,自分の置かれている立ち位置に不安を感じずにはいられない。
「司法試験に三振したらどうしよう」,
「就職先が見つからないのではないか。」
こうしたネガティブなことを考えずにはいられなくなってしまう。

 ずっと同じ大学で,同じような生活を過ごしていると,周りと比較し,自分だけが取り残されているような気がしてしまう。
しかし,この選択肢を選んだのは外でもない自分なのだ。
新年早々こんなネガティブな気持ちに浸かってしまっている情けない自分であるが,今年は,周りの環境を意識しすぎず自分の選んだ道を信じてポジティブに過ごしたい。

旧司法試験時代とあまり変わらないのではないか

読んでまず思ったのが,「旧司法試験時代とあまり変わらない」,ということでした。

旧司への批判として,受験勉強ばかりしていて頭でっかちになり,視野が狭くなる,というような趣旨のものがあったと思いましたが,このコラムを読む限りでは,現行の法科大学院制度のもとでも似たような状況は起こり得るようです。

法科大学院制度は,多額のコストをかけているのですから,旧司時代より状況が大幅に改善されてようやく合理性が認められるものと思いますが,このような旧司時代と変わらないのであれば,合理性はまったく認められないでしょう。

重い経済的負担

また,

(他の同級生が独立しているに対して)私は未だに親の脛をかじりながら毎日を生きている。

とありますが,コストの低かった旧司時代であれば,働きながら受験を続けることも可能でしたし,親から経済的援助を受けるとしても,その程度は軽くて済んだでしょう。

受験に専念する環境

普段法科大学院で日々を過ごしていると,自分と同じような境遇にいる人たちに囲まれているため,司法試験関連のこと以外は,強く意識せずに過ごすことができる。

この点も,良し悪しがあると思います。

学校内で学生生活を続けられるという点では,勉強に集中できるとも言えますが,世間一般の感覚との乖離は生じてきてしまうでしょう。
受験勉強の弊害を強く指摘する司法制度改革が,受験勉強に集中する環境を作っていますので,これは矛盾と言ってよいでしょう。

法科大学院制度になり悪化した点

さらに,筆者が心配している以下の2点は,いずれも法科大学院制度が引き起こした弊害であり,旧司時代にはこうした心配はありませんでした。

「司法試験に三振したらどうしよう」,
「就職先が見つからないのではないか。」

制度に起因する一般的な問題である

最後に筆者は,

この選択肢を選んだのは外でもない自分なのだ。
(中略)自分の選んだ道を信じてポジティブに過ごしたい。

として,自分に原因を求めて前向きになろうと努力しようとしていますが,このような懸念を多くの受験生が抱くのであれば,それは制度に起因する一般的な問題点であると思います。

本当は恐い「プロセスによる法曹養成」

有識者会議などでは,「プロセスによる法曹養成」という抽象的なタームを用い,それは議論するまでもなく「良い」ものだ,というような前提で議論がされています。

しかし,この法科大学院生のコラムに表れているように,その具体的な実態は旧司時代と同様か,むしろ旧司時代より悪化した環境にある,という評価もありうるのではないかと思います。

仮に「プロセスによる法曹養成」が,有識者会議で言われているような素晴らしいものであるならば,「今は働いていないが,素晴らしい教育を受けており,将来有為な人材になるに違いない」というような感想が出てくるはずであり,にもかかわらずそうした声がないことを考えるべきだと思います。