タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

法曹養成制度検討会議第10回(平成25年3月14日開催)

議事録が公表されていました。

法曹養成制度検討会議第10回(平成25年3月14日開催)
http://www.moj.go.jp/housei/shihouseido/housei10_00016.html

議事録
http://www.moj.go.jp/content/000109755.pdf

まずは,国分委員の意見です。

○国分委員
只今,座長から幾つかの問題がある,その中で法曹人口全体の在り方についてとのことでしたので,その全体論について,発言させていただきます。

この設問は,法曹三者といっても,結局は弁護士人口全体の在り方に置きかえることができると思います。

孟子に「恒産無くして恒心有る者は,ただ士のみ能くするを為す」とあります。

法曹有資格者の就職難や,急激な弁護士増に伴う弁護士平均年収の減少,これらを事実と認めるのであれば,この「恒心有る」を弁護士に求めるのは酷であると私は考えます。

他方,古典的ですが,西欧社会では聖職者,医師,弁護士の3職種をプロフェッションとして扱っており,このプロフェッションに属する者は公益奉仕,利他主義,そして中立的,生涯自己研鑽を旨として団体を構成し,自治運営,教育の機能の維持,向上に努めています。日本においては,過去10余年の司法改革の成果の部分とともに,合併症を超え致命的な症状が生じているように思えます。

法曹有資格者の急増による就職難,未登録にとどまらず,登録新弁護士が即独,軒弁あるいは宅弁などと,望ましいとは決して言い難い開業形態に押しやられ,OJT機能の弱体化など,プロフェッションとしての団体自体のありようにも悪影響が生じるのではないか,各地方の弁護士会,あるいは日弁連が弁護士の質・価値を保証していると考えるものですが,その団体の権威が損なわれることになるのではないか,と危惧するのです。

その通りすぎて,何も言うことはありません。

○国分委員
弁護士人口は,自らの職域拡大の努力とともに,社会からの需要の拡大に見合った形で漸増すべきものであって,政策的に急増させることで需要喚起を狙うのは,間違った手法であると思います。

以上,総論的な意見です。

この発言も,ロースクール推進派への痛烈な批判ですが,まったくの正論だと思います。

○和田委員
最後に,法曹人口の話に戻りますけれども,このまま弁護士の数を増やしていけば,弁護士は「誰でもなれる職業」になるかもしれませんけれども,それは,「誰でもとくになりたいとは思わない職業」にもなるということを意味するわけで,現在の制度では多大な費用と時間を要する以上,志願者がさらに減り,集まる人の資質は確実に低下することになると思われます。

こちらも,まったく正しい現状認識です。

現在の法曹養成過程には,2つの大きな問題点があります。

法曹志願者は,時系列で言うと,以下の過程を経るわけですが,

(潜在的法曹志願者群)

1.ロースクール

2.司法試験

3.修習

4.弁護士(就職)

このうち,「1.ロースクール」において,費用と時間の大きな負担があり,さらに,「4.弁護士(就職)」において,就職難,収入減の難点があり,これらがあらかじめ明らかになりつつあるので,源泉である「潜在的法曹志願者群」からの流入が激減しているわけです。
(さらに,「3.修習」における給費制廃止の問題もあります。)

そして,仮に法曹志願者が激減したとしても,トップレベルの人材が残っていてくれればいいですが,もちろんそういうことはなく,むしろ,優秀な人材は,他の職業に就いても良い条件で働くことができるので,この良い条件と弁護士の悪化した労働条件を比較することで,ますます弁護士を忌避する傾向は強まります。

逆に言うと,この2つの問題を解決できれば,事態は改善に向かうはずです。

「1.ロースクール」の費用と時間の大きな負担の改善

ロースクール修了を受験資格要件から外し,任意機関とするのが1番ですが,それではロースクール推進派の抵抗が激しいということであれば,現行制度と予備試験的な発想を折衷して,受験資格に関して税理士試験のような科目合格制度にして,その科目の「予備試験」を受けて合格するのが原則であるものの,当該科目につきロースクールの講義を受け,その科目限定の修了認定を受ければ,その科目の受験資格を得られる,というような制度も考えられます。

そうすれば,受験生は,苦手科目で,その科目の「予備試験」になかなか合格できない場合に,ロースクールを利用することができます。

それ以外でも,一部の有名な教員の講義については,積極的に受講する受験生も出てくるでしょう。

ロースクール制度は「資格商法」と揶揄されることがありますが,全科目を2年〜3年分を1セットにして数百万円で売りつけるのがやりすぎのような感じがするのです。

大学とは異なり,学生は弁護士資格を取得する明確な目的を持って行く点で,ロースクールは予備校に近いのですから,予備校のように講座ごとの受講を認めるようにしてもいいと思うのです。

もっとも,科目合格制は,三振制による受験資格の「時効消滅」を残存させた場合,複雑になってしまうというデメリットも考えられます。
(資格喪失により,資格を欠いた科目の資格補充のためポロポロと受講する人が増えれば,ロースクールの経営にはメリットかもしれません。)

まあ,科目合格制は単なる思い付きですので,ロースクールの負担軽減をするということであれば,単純に,ロースクールの年限を短縮して,既修1年,未修2年とする,ということでもいいと思います。

「4.弁護士(就職)」の就職難の改善

一定の規模の企業については,弁護士の顧問を付けることを法律で強制してはどうでしょうか。

ヒントは,「障害者雇用率制度」です。

厚生労働省
従業員が一定数以上の規模の事業主は、従業員に占める身体障害者知的障害者の割合を「法定雇用率」以上にする義務があります。(障害者雇用促進法43条第1項)
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/jigyounushi/page10.html

例えば,従業員数50人以上の企業は,その2%以上の人数の弁護士顧問が付いていなければならない,といったものです。

政策として,「法の光で社会をあまねく照らす」というのであれば,政策的に弁護士顧問を強制してもおかしくはないでしょう。

企業の考えとして,形式だけでも弁護士を雇用した形にしたい,顧問料を安くしたいと考えた場合,若手の弁護士に依頼するでしょうから,この点でもいいのではないでしょうか。

自らの卒業生の生活費を奪って,ロースクールの赤字の補てんに回したり(貸与制),あいまいな根拠で数百万円の対価としての受験資格をはく奪したり(三振制),立場の弱い受験生には,非常に過激で過酷な措置をしていますが,一方で企業に対しては,「弁護士の活用を周知する」といった実効性に乏しいぬるいことしかやっていませんので,より強力な対策を取って欲しいと思っています。



話は戻って,合格者を減員すべきという他の委員の発言に対して反論したものの,矛盾を呈したのが井上委員。

○井上委員p10
少なくとも現行の司法試験のもとで,毎年2,000人強の人が合格水準に達すると認められているという事実は軽視されるべきではないと考えます。

○井上委員p11
これに対して,弁護士の数はほぼ満杯であり,司法修習を修了した人が就職難となっているということを理由に合格者数を減らすべきだとする御意見があったわけですけれども,これについては,これまで指摘させていただいたように,人為的に合格者数の上限を設定することによって,学力という面では合格水準に達している人を合格させないというのは,資格試験であるはずの司法試験の本旨に反することにはならないのかという本質的な問題がある

と,現在,司法試験委員会が合格させている合格者数2000人を指摘し,これを減員すべきではないと主張する一方,

○国分委員p24
次に資格を取った方々が就職できないという問題が起こっている。
それに対しての対処法も考えなければいけないと思います。
医学の方の大学病院では,医員と呼ぶ非常勤のポストがあります。
それが,例えば東北大学の場合,現在の正確な数字は存じませんが,私が副病院長であったころは,100名を超えていたはずです。

法科大学院で,特に国立の法科大学院で,非常勤の若手の教官を受け入れる,といった制度を検討してみてはいかがでしょうか
それが若い法曹有資格者のプールになるし,また将来の常勤教官の候補になると思います。
非常勤であっても生活できる給与が支払われるのであれば,就職難軽減の一つの方策となりましょう。

という,法科大学院で合格者を雇用したら就職難の軽減になるという国分委員の提案に対しては,

○井上委員p24
問題は,就職難で就職できない人がそれに適しているかどうかということで,悠々と就職している人の方がそれに向いていたりするものですから,ミスマッチが生じ得ると思います。

と,合格者の中にも能力に問題がある者がいることを指摘して,法科大学院による合格者の受け入れを即答で拒んでいます。

井上委員の認識において,初めに言った,

「合格者2000人は,司法試験委員会により能力が保証されている」

ということと,後に言った,

「合格者の中にも能力に問題がある者がいる」

というのは,どちらが本当なのでしょうか?

仮に,「法科大学院の教官に適さない」ということは,「能力に問題がある」ということではない,という反論があったとしても,現行制度における合格者は,まさに法科大学院によって崇高な理念に基づき人格的にも優れた法曹として養成されて,なおかつ,天下の大司法試験委員会によって2割強という狭き門にも関わらず選ばれて能力を保証されたエリートなのですから,そんな有為な人材が,法科大学院の教官くらいできないということはないと思います。

もっともそうなると,教官の人数が増えてインフレ化し,教官の経済的リターンが急激に低下するかもしれませんが,市場原理により淘汰されて,教育能力の高い教員だけが生き残るので,社会にとってはプラスになるでしょう。

これは,既存の法科大学院教官にとってデメリットかも知れませんが,教官は特権階級ではない以上,現在その地位にあるからといって,その職や収入が保証されるわけではないのは当然のことであります。
法科大学院の教官は殿様商売であってはならないのです。