タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

一炊の夢(京都産業大学大学院法務研究科の学生募集停止)

平成の時代に「法科・大学院」という若者が,弁護士数の目標も定めまま旧司法試験を廃止し、司法制度改革を始めた。

法科はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、志願者が激減し,僅かな入学者しか来なくなった自らの身の不平を語った。

するとその道士は夢が叶うという枕を法科に授ける。

そして法科はその枕を使ってみると、社内弁護士、顧問弁護士枠を数万単位で開拓して,紹介するなどして新人弁護士を支援したり,司法試験に受からなかったロースクール修了生が企業から引っ張りだこだったり,弁護士になっても年収は300万でよいと多くの法曹志願者が言ったり,心の豊かな法曹志願者が予備試験は「抜け道」であるからと避け,本道であるロースクールへ殺到したり,法律なんか知らなくても若手弁護士が企業間の交渉の場面で活躍したり(でも訴訟に発展したら法律を知らないために窮地に立たされたり),多くの企業が企業内弁護士を雇用して就職難が解消したり(でも年収は300万だったり)する夢を見た。

ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。

ネットでは,京都産業大学大学院法務研究科の学生募集停止が発表されており,ロースクール衰退の風潮は相変わらずだった。

全ては夢であり束の間の出来事であったのである。


法科は,枕元に居た呂翁に「司法制度改革の栄光の全てを見ました。先生は私の欲を満たしてくださった」と丁寧に礼を言い、「ロースクールと法曹のfutureをcreateする会」事務局へ帰って行った。

元ネタ

邯鄲の枕(かんたんのまくら)

趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AF%E9%84%B2%E3%81%AE%E6%9E%95

京都産業大学大学院法務研究科の学生募集停止について
http://www.kyoto-su.ac.jp/more/2015/305/20150302_news.html