タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

「法曹養成 何のための予備試験か」中日新聞2013年11月1日

ツッコミどころがフルに詰まっていて,問題点を検討するには,ある意味,良い題材でした。

法曹養成 何のための予備試験か
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2013110102000095.html

今年の司法試験では、法科大学院を修了しない人の合格者が激増した。
本来は社会人らを想定した予備試験が、現役学生の“特急コース”になっているのだ。
放置すれば、大学院制度が空洞化する

「大学院制度が空洞化」しても,具体的に困ることはないと思います。
「現在,本道とされているから」という理由だけで,法科大学院を守ろう,というのなら,形式的思考にすぎるでしょう。
予備試験を経由して弁護士になる者が増え,一方で法科大学院のほとんどが廃校になったと仮定して,法科大学院関係者以外にとって実質的に困ることはないでしょう。

(予備試験組の司法試験合格者について)とくに注目したいのが、大学生が四十人、法科大学院生が三十四人にのぼることだ。
合わせると、七十四人である。
全員が経済的に困窮しているとは限らない。
むしろ、法科大学院を経ないで、司法試験に合格する“特急コース”と化しているとみられている。

さりげなく書かれていますが,現役の法科大学院生が,何十人も予備試験を経由していることは注目されます。
予備試験受験者レベルなら,この何倍かの人数になるでしょう。
それだけの人たちが,ロースクールを卒業するより,予備試験に合格する方が良いと判断したということです。
もしもロースクールの授業が素晴らしいのであれば,ロースクールの学生がわざわざ予備試験を受けることはないはずです。

二十歳から二十四歳の合格者が六十四人に達することからも、それが推察される。
合格率も70%超の高い水準だ。「真のエリートコース」とも呼ばれる現状だ。

それに比べて、法科大学院を経た人の合格率は20%台にとどまり、低迷を続ける

法科大学院卒業者の合格率が低いという事実は,法科大学院の体たらくを示していると思うのですが。

このままだと今後、予備試験組の合格者が爆発的に増える可能性が極めて高い。
大学院組と予備試験組との合格割合を均衡させることが、閣議決定されているからだ。
必然的に大学院制度の空洞化につながる

「予備試験が」「大学院制度」を「空洞化」させるというより,単に法科大学院が,その体たらくゆえに,ダメな制度だから空洞化するのではないでしょうか。

たとえば仮に,予備試験が,金さえ払えば成績の悪い者も合格できる,という不合理な制度であれば,「予備試験により,別の制度が空洞化するのは問題だ」というのも理解できます。
(このことは,むしろ,ロースクール制度にあてはまりそうなことですが……)

しかし,実際には,予備試験は,受験者が「大学院修了者と同等の学識や、応用能力、法律実務の基礎的素養」を有するかを判定する試験なのですから,そのようなロースクール卒業者と同等の能力ある者にローの免除を認めることは合理的であり,何ら問題はないでしょう。

他方で,仮に法科大学院も合理的な制度であれば,予備試験といい勝負をするはずなのですが,実際には非効率,不合理なので,人が結果的に合理的な制度,予備試験に流れているだけです。

味の不味いラーメン屋は,客が流れていった先のうまいラーメン屋によって「空洞化」させられたのではなく,単に,自分の店で客に提供するラーメンが不味いから,お客が離れていって「空洞化」するのです。
商売敵の「うまいラーメン屋」を問題視するのではなく,自分の店の商品の味を良く方法を考えるべきでしょう。

現役学生の場合、親の年収などのチェックが全く行われていない
「経済的事情」の約束事が空文化しているのは問題である。

最年少でも22歳くらいの人間に対して,大学卒業後にさらに学ぶ費用を,親に出してもらうことを当然の前提とする感覚は,おかしくないでしょうか。
親の中には,お金がないわけではないが,大学卒業後にさらに好きで行く学校の学費は出さない,という考える方もいらっしゃると思います。

また,親にお金があれば,その子供が予備試験を受けられないとなると,「親にお金があったばっかりに,予備試験を受けられなくなった」と,子が親をうらむ家庭を出てくるでしょう。

子が,自らの力ではいかんともしがたい親の資力(裕福)のために,差別を受けた,ということになれば,平等権侵害にもなりかねません。

“特急コース”も認める意見もあるだろう。
だが、司法試験という一発勝負の「点」での選抜ではなく、大学院を通じた「プロセス」で、法曹人を養成するよう転換したのだ。
「点」への逆戻りを許しては、司法制度改革の意義がかすんでしまう

これは,つくづく思うのですが,結局,(法曹関係者を中心とした)国民は,「プロセス」による法曹養成も,司法制度改革の意義も,評価しなかったということではないでしょうか。

言い換えると,「プロセス」による法曹養成ではなくてもいいのではないか,一発勝負の「点」での選抜で問題ないのではないか,「司法制度改革の意義」とやらが達成されなくても何も問題はないのではないか,と,評価されているということです。

もし『「プロセス」による法曹養成』が評価されているなら,ロースクールを卒業することが評価され,そのような雰囲気を法曹志望者が察知すれば,予備試験に法曹志望者が流れるということは起きないはずです。

“エリート”の選別に予備試験が使われる現状は、新制度の逸脱ではないだろうか。

「エリート」が何を意味するのか,「エリート」がなぜネガティブな意味合いで語られているのは,明らかではありませんが,予備試験では,誰でも受験できるかわりに,合格者は一部の上位者に限定することで,合格者の質を確保する形になっており,何ら不合理な点はありません。

本来ならロースクールへ行くべき者が予備試験へ流れて過当競争になっている,というのであれば,それは「不味いラーメン屋」が,お客を確保できずに流出させてしまっているだけですので,なぜ不味いラーメンしか作れないのか,を検討すべきでしょう。
商売敵の「うまいラーメン屋」に「お客を取るな」と怒鳴りこむのは,筋違いというものです。

言い方を換えると,現在の予備試験の人気という現象は,法科大学院という不合理な制度の「影」にすぎないのです。
その本質は,法科大学院という拙い設計の制度にあるのです。

このことは,仮に予備試験が廃止されたり,受験が制限されたことを想像すれば,分かります。
おそらく,法曹志願者はロースクールには戻らず,法曹の道を断念して他の業界へ進むでしょう。
仮に予備試験がなくなっても,このように形を変えて歪みが出続けます。
法科大学院という問題の本体をそのままにする限り,どこかに歪んだ「影」を落とし続けるのです。