タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

テクニックが要求される法科大学院

プロセスによる法曹養成,と言いますが,会社員で言うと,残業時間が長いことを称賛することに似ていると思います。

本来大事なのは,仕事の成果です。
残業時間が長くても,仕事の成果を上げなければ仕方ないでしょう。
最も優秀な会社員は,効率良く働いて成果を出し,定時で帰ります。
残業をするならするで,その残業時間で何を生みだしたか,が問われるわけです。

プロセスを経る制度設計が,即,一発試験制度より優れている,とするのは,この意味でかなりの違和感を覚えます。
プロセスを経たから,または規定の労働時間外に残業をしたから,即偉い,ということではないと思います。
大事なのは,その「プロセスを経」た結果,学生がどのような成果を出せるようになったか,ということでしょう。

プロセスを経ることに従順,忠実であればある程,司法試験で有利になるというのであれば,プロセスを経たことの成果が発揮できるということであり問題ないのですが,現実にはそうではありません。

受験指導禁止や,学者教員の指導力不足などの理由で,ロースクールの授業は,司法試験対策になりません。

するとどうなるかと言うと,
・受験資格が得られる
・プロセスを経ないのでコストが低い
・勉強が司法試験に直結する
・就職に有利
と四拍子そろった予備試験に流れることになります。

一方,あえてロースクールに入学したとすると,ロースクールの成績に対する各学生の考え方によりますが,
(1)奨学金などの関係で,ロースクールの成績についても良い成績を取ることを目指せば,対ロースクールと対司法試験という二正面作戦を強いられます。
(2)ロースクールは受験資格取得のためと割り切って,ロースクールの成績は悪くてもよいと割り切れば,ロースクールに対しては単位を落とさない程度にそこそこにエネルギーを使い,一方,司法試験に対しては,余剰のエネルギーをふんだんに使う,という作戦を採ることになります。

(井上委員的には)例外的ですが,ロースクールの授業についていけば司法試験にも合格する,と詐欺行為を働かれて,うっかりと錯誤に陥ってしまった詐欺被害者の学生は,
(3)ロースクールの授業にかなりのエネルギーを注ぐ一方で,プロパーな司法試験対策は後手に回ります。

これらの内,(3)は例外として,(1)も,とにかくスーパーマンを目指すということで,作戦としてはかえって単純です。
他方,(2)のルートは,かなりテクニカルです。
ロースクールについては,墜落しない程度に低空飛行を維持する,という,高度なテクニックが求められます。
プロセスを経ながらもプロセスに集中しない,残業時間に入りながらも,そこでの仕事に全力にならない,というような,精神が分裂したかのような訳のわからない状態です。

よく旧司法試験について,「受験テクニックが偏重になる」と批判されますが,(そもそも「受験テクニック」なるものが何も意味しているのかが不明ですが),役に立たないプロセスを強制されることによって,その中で自己の合格率を高めるには,本質的な法律の勉強とは関係のない,かなりテクニカルな「低空飛行維持テク」が要求されることになるのではないか,と思うところであります。

母校のロースクールが受験指導をしてくれたかしてくれなかったか,また,ロースクールの授業が試験に役に立たないことを見切り,早目に距離を置いたか,それともロースクールべったりだったか,など,法律の勉強そのものとは関係のないところで,司法試験の受かりやすさの点で優劣の差がつくという,不思議な時代になったと思います。

こんな時代に比べれば,旧司法試験時代のように,予備校に通う大学生もいれば,働きながら長年かけて少しづつ勉強を続ける社会人受験生もいましたが,それぞれの生活環境に応じて法律の勉強をして自己の実力を蓄えて,司法試験では自己の法律知識だけを武器にしてノーガードで勝負した頃の方が,よほど無用のテクニックが不要だったと思うところであります。