タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

「平成24年司法試験の採点実感等に関する意見」法務省HPより

公表されていました。

平成24年司法試験の採点実感等に関する意見
http://www.moj.go.jp/content/000105102.pdf

p13
答案の中に,少数ではあるが,受験者の極めて優れた分析能力や考察能力をうかがわせるものが見られる。旧司法試験の制度の下で見られたように,法学教育は学部までで終了し,その後の司法試験受験のためには,受験者の関心が受験準備のマニュアル的な訓練ばかりに向かいがちであった仕組みの下では,このような答案は現れなかったものと思われる。

どさくさに紛れてロースクールを褒め称えていますが,違和感がありますね。

優秀な答案を書いた受験生が,ロースクール修了者であると調査したのか?

少数の優れた答案があったとのことですが,それがことごとく予備試験組のもの,ということはないのでしょうか(笑)

予備試験組の合格率が,ロースクールトップの一橋をぶっちぎっていることを考えると,そうしたことも十分ありうると思うのですが。

採点者は,ロー卒と予備試験組を区別できるのでしょうか?

採点者はこの区別ができていて,こういう感想を述べている可能性もありますが,私の推測では,適当に言っているのではないかと思います。

少なくとも,採点時にそうした区別が採点者に分かっているとすれば,それは受験者の属性が分かるということなので,特定答案を禁止する趣旨からして,禁止されるはずだからです。

法務省HP
平成25年司法試験に関するQ&A
Q42 答案の作成に当たって注意すべき点はありますか?
A (1) まず,答案が零点になる場合は,以下の3つの場合です。
  ア 解答欄に受験者の氏名又は特定人の答案であると判断される記載のある答案,指定の筆記具(黒インクのボールペン又は万年筆)以外で記載された答案は,無効答案となり零点になります
http://www.moj.go.jp/jinji/shihoushiken/shiken_shinshihou_shikenqa.html

それでは,優秀な答案を別にまとめるなどして他と区別しておいて,採点終了後に,それがロー修了者のものか追跡調査をしたか,ということになりますが,そこまでしていないのではないでしょうか。

仮にそこまでしていないとしたら,大事な採点実感に適当なことを書いていいのでしょうか,と素朴に疑問を感じます。


優秀な答案が書けたのは,ロースクールの教育のたまものなのか?

また,旧司法試験の制度から変わったのは,

【1】ロースクールが原則,強制となったこと

以外にも,

【2】司法試験が,問題文も書くべき答案も,長文化したこと

もあります。

結局,この【2】が,受験者に「極めて優れた分析能力や考察能力をうかがわせ」るようになった要因ではないでしょうか。

そもそも,旧司法試験の4ページの答案の中で,論点4個〜5個を書くことを求められたら,それぞれの論点について,問題提起,理由付け,規範定立,あてはめ,をしたら,もう答案が埋まってしまうでしょう。

仮に,この内の1つの論点について,高度な「考察能力」を見せていたら,時間がなくなったり,答案の紙幅がなくなってしまいます。
現実的なところでは,その論点を詳しく書いた結果,他の論点を1つ落として大きな減点をくらうことになるでしょう。

要するに,旧司法試験において,「金太郎飴」答案を書いて合格した受験生は,当時の試験制度(1行問題があったり,問題も答案も短かった」)にアジャスト(適応)しただけだと思います。
「金太郎飴」答案を書くことが合格する上で効率的だったから,「金太郎飴」答案を書く勉強をしていただけです。
ローに行っていないから,「金太郎飴」答案を書くようなバカになっちゃったわけではないと思いますよw
むしろ(司法試験に対する)考察能力が高いからこそ,定型的な答案に活路を見出したのです。

そして,司法試験を受験する受験生の母体の平均能力は,昔と今とで,そうは違いがないと思います。

そうであれば,司法試験を新試験のそれ(【2】司法試験が,問題文も書くべき答案も,長文化した)に変更して,また採点方法において論理的考察を見せなければ合格しにくい試験制度にすれば,受験生はきっちりとアジャスト(適応)してきて,独学でも「優れた分析能力や考察能力」答案上で見せてくれるようになると思います。

逆に言うと,「金太郎飴」答案でも受かるのであれば,ローに行ってたとしても,受験生は効率良く合格確率を高めるため,「金太郎飴」答案を書くための勉強にまい進すると思いますよ。

つまり,答案で優れた思考力を示すことと,ロースクールの教育との間に,因果関係はなく,むしろ試験制度との間にこそあるのです。

旧試験時代には見たことがないような略字の使用

そのすぐ後ですが,こんな指摘があります。

p14
法律家が書く文章ということでは,さらに裁判書や準備書面は,当然と言えば当然のことであるが,他人に読んでもらうものである,という前提がある。自分が手控えとして残しておくメモとは異なるものであり,答案も,それらと同じであるべきであるから,その観点からの注意も要る。「債ム」などという略記や略字,時的因子を示す際に「平成」を示す記号であると見られる「H」という略記などは,いずれも自分のみが読むメモであるならばあり得ることであるが,答案などにおいては好ましくない

私も,旧試験時代に,受験生の答案を数多く見たことがありますが,こんな略記をする答案を見たことは1度もないですね。

新試験の受験生のレベルが低い,というつもりはないですが,新試験の時代の受験生は,旧の時代に比べて相当,答案を書く練習が不足ているのだなと感じました。

旧試験の欠点が指摘されることが良くありますが,新試験の欠点だって,指摘しようと思えばたくさん出てくると思います。

接続詞の勉強が未了のロースクール

順番が前後しますが,このすぐ前にこのような記載があります。

p13〜p14
半面において,細かく観察すると,法律家として将来において実務に就くという目的意識とは距離のある文章作成の感覚も,遺憾ながら見られる。
接続表現が,譲歩でなく単に逆接である場面で見られる「そうであっても」,「そうとしても」という言葉や,仮定でなく単に順接である場面で用いられる「とすると」,「そうであれば」という表現の頻用は,不自然である。
法律家として将来において作成することになる裁判書や準備書面は,「しかし」,「したがって」,「そこで」などの一般の人々も理解しやすい平易な表現で書かれることが望まれるし,答案も,そうであってほしい。

こんな接続詞レベルのことは,ロースクールで教えられないのでしょうか?
「法律文書作成論」とかナントカ適当な科目を作って,教えればいいのに,と思います。
年1回の採点実感で指摘されるようなことなのでしょうか。
これが予備校なら,すぐに対応してくると思います。

ロースクールは「理論と実務の架橋」のための教育が実行されていませんね。

採点実感こそ,人に読んでもらうためのものであることを意識すべきでは?

p22
従来から指摘しているとおり,試験の答案は,人に読んでもらうためのものである。
司法試験はもとより字の巧拙を問うものではないが,極端に小さな字や薄い字,潰れた字や書き殴った字の答案が相変わらず少なくない。

各行の幅の半分にも満たないサイズの字を書いているのでは小さすぎ,逆に,全ての行を文字で埋め尽くしている答案も読みづらい。いずれについても改善を求めたいところであり,ここに挙げたような問題点に心当たりのある受験者は,相応の心掛けをしてほしい。

これは余談ですが,赤字の部分の意味が良く分かりません。
「行の幅」とありますが,「行の高さ」だと意味が通じる気がしますが,誤記なのでしょうか?
古い時代の旧試験では,答案は縦書きでしたが,現行試験では横書きですので。

それとも,採点者は,答案を縦書きに変換して採点しているのでしょうか?