タダスケの日記

ある弁護士の司法制度改革観察記録

法曹養成制度検討会議第6回,事務局提出資料,受験回数制限(平成24年12月25日開催)

受験回数制限(いわゆる三振制)がやや大きくとりあげられていたので,見てみました。

事務局提出資料
http://www.moj.go.jp/content/000105358.pdf

P29
【本論点の検討状況】
本論点に関連して,次のような意見が述べられた。

として,意見が箇条書きされています。

受験回数制限制度は,旧司法試験の下での過度の受験競争状態の解消を図るとともに,プロセスとしての法曹養成制度を導入する以上,法科大学院における教育効果が薄れないうちに司法試験を受験させる必要があるとの考え方から導入したものであり,合理的な制度である。

前前から,誰か突っ込まないかなと思っていた点です。
と言うより,これを誰がが言いだしたとき,ロー関係者で止めようとする人はいなかったのでしょうか。

法科大学院って5年で教育効果が薄れるんですね,分かります」

ということでしょう。

自白ってことで,原則撤回不可ということでいいですかね。

それならば,卒業後5年を超えれば,法科大学院卒業者の弁護士も,予備試験経由の弁護士も,同じです。
「予備試験合格者には,プロセスとしての教育が欠けているから欠点がある」,とは一切言えないわけです。
そして,5年後にこうなることが見込まれれば,法曹志願者にとって,法科大学院に入学するモチベーションは下がるでしょうね。

それから,「過度の受験競争状態の解消」とか,抽象的なタームを理由づけにして,具体的に利害得失を緻密に検討する姿勢に欠けるのは,ロー推進者のいつもの論法ですね。「理念」「本道」とか。
旧試験で合格した弊害なのでしょうか(笑)。
水戸黄門の印籠のように,そのタームを出しさえすれば議論に勝てるというのなら,誰も苦労して勉強なんかしませんけどね。

こういうのを見ると,「公共の福祉」や「公共の利害」という抽象的概念で,個人の人権制約を合理化していた,昔の憲法判例を思い出します。
憲法の歴史では,これらの論法は批判され,より具体的な人権制約の根拠が検討されるようになってきましたが,法科大学院を巡る議論ではどうなっていくでしょうか。

現行の受験回数,期間の妥当性はともかく,20歳から30歳代は,人生で最も様々なものを吸収できる,あるいは吸収すべき世代であり,本人に早期の転進を促す一つの機会とする意味で,一定の制限には十分に合理性がある。

新制度では,法曹の多様化を目指して,色々なバックグラウンドを持った人材を法曹にしようとしていますよね。
40歳代以上の,社会で一定の地位を得たが,何かの理由から法曹を目指されて法科大学院に入学する方は,絶対数は少ないですが一定割合でいらっしゃいます。
つまり,「早期の転進」が関係ない方たちです。
こうした方々についても一律に受験資格を喪失させる現行の三振制は合理性がないか,少なくとも配慮に欠ける点があるのではないでしょうか。

現在の司法試験合格率が低迷する状況や司法試験を受け控える受験生がいる現状を勘案すると,5年間に5回まで受験できるように緩和すべきである。
もっとも,受験回数制限制度を撤廃することは,旧制度下における受験競争を招くことになりかねず,法科大学院を中核とする法曹養成の理念を損なうこととなる。

受験回数制限制度を撤廃することで招く「受験競争」によって,誰の,どういう権利,利益が,どれくらい損なわれるのか,「法科大学院を中核とする法曹養成の理念」がどれくらい損なわれるのか,具体的に検討して頂きたいです。

っていうか,5年で教育効果がなくなる法科大学院の理念なんて,そもそもあるのでしょうか。
保護すべき利益がないのではないでしょうか。
5年待てば,どの道なくなる利益であれば,わざわざコストをかけて守る必要はないでしょう。

受験回数制限を緩和すると,一見,受験者の合格する確率が上がるように見えるかもしれないが,全体の司法試験合格率は確実に低下し,5回受けても各受験者が合格する確率が上がるわけではないから,受験者のためになるものではなく,司法試験合格率の向上を図るための制度改善を図ることとの整合もつかないと考えられる。

むしろ,司法試験合格率について,修了1年目が最も高く,年数を経るにつれて低下していき,特に4年目以降は著しく低いことからすれば,5年間に5回受験できるようにするのではなく,受験期間を3年間に短縮し,その間に3回受験できるようにすることも選択肢としてあり得る。

一読して分かりにくい内容です。

そもそも,「司法試験合格率の向上を図る」という政策は公益のためのものであるので,安易に個人の権利(受験資格)を奪ってはならないと思います。

また,旧試験でありましたが,5年以上長期に受験を続けていて,あるとき勉強法に開眼して,その年に合格したという方もいらっしゃいます。
つまり,勉強の成果がどのように表れるのかは人それぞれなのですから,国が,大雑把な見通しでこうした成果が結実する可能性を奪うのはおかしいと思います。

後半については,1年目2年目の合格者が多いという実績があるのであれば,(仮に三振制を廃止したとしても)5年目以降の合格者は少ないわけですから,全体への影響が少ないでしょう。
すなわち,三振制を設けることの必要性が乏しいことになります。

P33
制度の許容性について
予備試験による再チャレンジが可能

ああ言えばこう言う,というか,ここでそれ(予備試験)を出すか!という感じです。

現行制度では,司法試験と予備試験が同日程なので,この2つを同時に出願することができません。
つまり,三振(するかもしれない)の年には,予備試験を受験できません。
しかも,予備試験に合格したとしても,司法試験を受験できるのは,またその翌年です。

そうすると,仮に三振後にストレートで予備試験に合格したとしても,三振した年の翌年に予備試験に合格し,その翌年に司法試験を受験するわけですから,三振した年の2年後に,やっと司法試験を受験することができることになります。
もちろん,予備試験は依然として(その受験者集団の実力に比べて)低い合格率に抑えられており,合格の保証はありません。

予備試験導入時は,経済的にローに通うのが困難な人向けの制度というのが趣旨であり,三振者の救済など頭になかったであろうと思われるのに,救済の実効性が低いにも関わらずここで「予備試験があるからいいだろ」と言い出すのは,もはや悪魔に魂を売って人間らしい共感性を捨て去ったとしか思えません。

「司法試験で三振したなら,予備試験を受ければいいじゃない」と言い放ち,群衆の怒りを買い革命を誘発し,マリーアントワネット張りにギロチンで処刑される展開を夢想する今日この頃であります。